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マッチングシステムとしての57577

フランスの詩人ロートレアモンが描いた有名な文学風景に、「ミシンとこうもり傘との手術台の上での偶然の出会い」があります。(名前を知らなくても大丈夫ですよ)

ふだん使いのうちには決して出会うことのなかった物同士が、これまた普通ではない状況で出会ってしまう。ミシンも傘も、自分が手術台のうえに置かれるだなんて思っていないでしょうし、人がその光景を想像することさえまずないでしょう。

このことが詩人の口から発せられた理由は、その出会いが“全くの予期せぬものである”というその事自体に驚きがあるからです。この驚きそのものが一種の“人を惹きつける力”になり、詩人にとって美しいと感じられる情景にもなる。

きっと、ロートレアモンは、言葉にまとわりつく意味やイメージが一新される可能性を、手術台の上でのミシンとこうもり傘との出会いに見出したのです。だからこそ、一見して理解できない光景に美しさを感じた……のかも?

この「偶然の出会い」が起こる舞台に注目すると、短歌もまた“予期せぬもの同士が出会う手術台”となりうることに気づけます。当記事はその点に目を凝らし、短歌のルールである57577のシステムを「題材となる物同士のマッチングシステム」と解釈してみたく思います。

無関係な物同士の取り合わせ、ロートレアモン?

KADOKAWAが刊行している雑誌『短歌』の2020年11月号に、第66回角川短歌賞の結果が掲載されています。受賞者は2名いました。田中翠香さんと道券はなさんです。各人各50首を一篇として、その全部が掲載されているなかで、私がふと目を止めた歌がありました。

脱出へ 街の最後の風景の動画を撮れば猫が産まれる
(光射す海/田中翠香)
足首を夜風が撫でていくときの処女だったころのようなさびしさ
(嵌めてください/道券はな)

どちらも素敵な歌ですね。(50首1篇としてある程度のまとまりを持っている中から1首だけ取り出すのもフェアではないでしょうが、)味わいかたは読んだかたの胸のうちに委ねるとして、ここで注目したいのはどちらの歌も“一見して無関係な物同士を取り合わせている”という点です。

「脱出へ〜」は、情景としては1人のジャーナリストが紛争地帯から脱出する際にビデオカメラを回しています。そうした緊張感のある状況で“猫の誕生”がレンズに収められ、歌が終わる。「足首を〜」では、足首を夜風が撫でている時と、自分が処女だった頃とが、“さびしさ”の感情によって不意に繋がってしまう。

ここにあるのはまさに、ロートレアモンが描いた「ミシンとこうもり傘との手術台の上での偶然の出会い」ではないでしょうか?

物同士の偶然の関係、短歌の美しさ

私は“短歌”を、ロートレアモンのイメージを踏まえて“手術台”と呼びました。その理由は、短歌の57577というルールに由来します。

たとえば「脱出へ〜」では5757までは非常に緊迫した状況を描いているのに対して、最後の7の部分では猫の誕生を写しています。これは不自然とまでは言わないものの、必然的ではありません。むしろ“その時たまたま”猫が産まれようとしていた偶然の一瞬が描かれている。

はたまた「足首を〜」では、575と7とで関連がない取り合わせが登場しているのを、最後の7で《(の)ようなさびしさ》と描くことによって、偶然の出会いが実現しています。さびしさの情感を持ってくることで、《足首を夜風が撫でていくとき》と《処女だったころ》とが関係を持ってしまうのです。

短歌を詠むとき、題材としてある物を取りあげます。それはミシンとこうもり傘だったり、街の最後の風景の動画と出産する猫だったり、足首を撫でる夜風と処女だった頃のさびしさだったり。ある物と別の物とを並べたり、くっつけたり、動かしたり。こうした物同士の関係、しかもきわめて偶然の関係から「短歌の美しさ」の一端が生じてくる

以上のことから見えてくるのは、短歌の57577で取りあげられる物同士が、さしあたっては(多かれ少なかれ)偶然の関係にあるということです。しかしその偶然の関係も57577のシステム上でカップリング(抱き合わせ)することにより、一種の必然の相を見せることになる。つまり、短歌の57577のシステムには異質な物同士を抱き合わせてしまう力があり、予想だにしなかった統一性・調和・美しさが宿ることがあるのです。

こうした偶然性の必然性への転換こそ、ロートレアモンの “手術台” が語っていたことだったことを思えば、短歌もまた予期せぬもの同士が出会う手術台”として機能するのではないかしら? ──と、指摘してみたくなるわけです。

短歌のマッチングシステム、手術台

57577の言葉の流れのなかで、物同士の関係を楽しむ。短歌は題材となった言葉の抱き合わせ、もしくは物と物とのカップリングによって成り立っています。あるいはマッチングと言ってもいいかもしれません。

日常的な言葉遣いでは異質な物同士とみなされる二つの言葉が、57577の流れのなかに置かれることで、「ミシンとこうもり傘との手術台の上での偶然の出会い」のように、日常的な言葉遣いとは違った言葉の味わいを生み出す。そうした “言葉の味わいの良さ” を追求するためのルール、57577という「偶然の出会いの場」こそ、短歌の57577のルールは題材となる物同士のマッチングシステムである、と考えられる理由になるのですね

短歌の持つ57577のルールが物と物とのマッチングシステムであることを踏まえると、私が「短歌は手術台である」と言った理由にも納得できるのではないでしょうか。

手術台の上での出会いの外見はあくまでも偶然の装いになります。しかし、その偶然の結果出来上がった作品は内的な必然性を持った美しさを宿す。──このような“物同士の出会いの舞台”としての手術台、短歌。

でわでわ、今回は「偶然の出会い」をキーワードにして短歌の57577のルールの意義を読み解いてみました〜。


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