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戦争は「歴史」から誰かの「日常」へ

「もし75年前にSNSがあったら?」という切り口で、戦時中を生きた人たちの日記をもとにTwitterで呟いていくという企画「ひろしまタイムライン」。フォローしている方も多いのではないでしょうか?

日記や語りは、そこに感情や思考が加わることで歴史が生モノとして心に伝わるので、大切な史料なんです。何を隠そう、歴史学科卒の私も論文では日記や語りの記録を史料として使いました。

そんな私は、祖母に会うたびに戦争の話を聞いて育ちました。祖母は、戦争体験を後世に伝えるための語りべとして、市民活動団体に招かれることも多いくらい、自分が経験したことを聞きたい人に惜しみなく伝えてくれる人です。今回は、祖母の語りを振り返りながら、戦後75年たった現在、私たちの意識はどのように変化したのか?を考えます。

憲兵が残した意味深な言葉

こんな話を聞きました。そろそろ終戦を迎える頃のことです。

祖母が数人の仕事仲間と、当時の流行歌を「ひっそり」歌っていた時です。流行歌には、外国語が混じっていて歌えないものもあったのです。それでもみんな歌いたいですから、ひっそりと歌っていたのですね。 

「しぃっ!」

憲兵の足音が聞こえました。憲兵とは、いわゆる軍事警察のことで、公安対策として、市民の思想を取り締まったりしていたんです。祖母たちはすぐに口を塞ぎました。処罰なんてまっぴらごめんです。
   
憲兵が現われました。祖母たちは、流行歌なんて歌っていないよというふうに、知らんふりをしました。そんな祖母たちを見て、憲兵は怒ることなく、ただこう言ったそうです。

「今にアメリカや外国の人がいっぱい来るよ」

その時、祖母は何のことかわからなかったそうです。それから間もなくのこと。日本は戦争に負け、祖母はその意味を知ったのです。 

もしあのとき、ああしていなければ…

祖母は戦時中、電気関係の工場で6か月間住み込みで働いていました。そこでは家事手伝いをしていました。祖母だけではなく、同じ年ごろの娘さんたち数人でやって来たとのことです。

6ヶ月を過ぎたころ、もう2ヵ月延長してもらえないか?と言われたそうです。

「でも……。一度、家に帰らなくちゃ」

家の人たちも心配しますし、その場で返事もできません。そのため、祖母は延長を断りいったん帰省しました。そしたら、その工場は空襲にあってしまったそうです。

もしあのとき、延長を断らなかったら?このような生死を分けるかのような分岐点。多くの人が戦争で体験しています。ああ自分は助かってよかったとは思っていなくて、自分だけ助かったという複雑な心境を胸に抱き、今も心を痛めている人が多いんですね。それが、戦争なんです。

誰か故郷を想わざる

戦時中、みんなが聞きたがったのは、霧島昇の「誰か故郷を想わざる」だったと祖母は言います。この歌は、慰問用のレコードとして戦地に送られたのだそうで、ウィキペディアで調べてみると、1940年に発売され、半年間で56万枚を売り上げた大ヒットソングだったのですね。

「みんな涙を流していたよ」

タイトルの「誰か故郷を想わざる」は、「故郷を想わない人はいない」という意味だそうです。曲を聞いてみると、友だちのこと、家族のこと、いつも見ていた近所の風景、そんな日常が歌われています。

ちなみに作曲は古賀政男(こが・まさお)さん。若い世代は知らない人も多いと思いますが、ところどころに、まぁオシャレなメロディを入れてくるんですよね。私は音楽ボランティアをやっていた時期がありまして、古賀政男さんの曲は、高齢者のレクリエーションでよく歌わせていただきましたが、いやぁ~良い曲だなぁと思いながら歌っていました。「丘を越えて」なんかいつ歌っても喜ばれましたね。また歌えることがあれば、歌ってみたいです。

戦争は「歴史」から誰かの「日常」へ

戦後50年頃は、戦争は「歴史」という色が濃かったように思います。それが75年たった現代に入り、SNSや動画が普及するようになったら、戦争は、身近な誰かが体験した「日常」に色濃く変化したように私は思うのです。

平成生まれの若者がたくさん育ち、人権のこと、個性のこと、男女平等のことなど、それまでは学ばなかった"新しいこと"を学び、私たち人類の意識が少しずつ開けていったことによる「見え方の変化」だと私は思っています。

戦争を歴史という学問の分野ではなくて、人類という大きな視野で眺め、自分たちのこととして、客観的に見つめたり、反省したり、具体的な行動を模索したり。

今の若者は「心が弱い」という見え方をする人もいますが、私は、このように感性が豊かで繊細で感受性が強いことは、傷つけ合うことに対して理性が強く嫌がりますから、悪いことではなく、むしろブレーキがかかって良いほうに向かっていると感じています。

この前、旦那くんが「戦争のことあまり知らなかったなと思って」と呟いて、スマホで戦争のことを調べているのを見ました。現代の私たちは、本当に変わろうと意識が目覚めてきたんだなと思えました。私もこの歳になり、現代史を学ぶ大切さを痛感しています。

戦後75年。戦争の記憶は、私たち人類が賢くなるのを助けようと、今年も花火のように打ち上げられ、夜空から世界を照らしています。

※冒頭でご紹介した「ひろしまタイムライン」はこちらです。(シュンくんのツイート)

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