謳歌せよ   澄淫田紬


私達の教室がある、去年増設された新校舎の、向かいの小さな旧校舎。
「ねえ」「……っ!」
二階の、もう誰も使わない空き教室に、今日もまた、私は謳う。
「ふふふ、可愛いよ」
声にならない叫びと、マーブルみたいに色んな想いが入り混じった笑いと共に。
「あっ……もう、じかんが――」「だめ」
 私は彼を抱き寄せて、頭を撫で、安心させる。彼は取り憑かれたように、そのまま私の胸に納まる。暫く抱きかかえていたら、彼は寝てしまった。私は彼をそっと横にして、そのままに。立ち上がり、よれたワイシャツに腕を通して、教室を出る。
「私も、帰って寝るか……」
私は放課後、こうして彼氏とここで抱き合っている。ほぼ毎日、ずっとこう。同じ人じゃ、ないんだけれど。

学校じゃ、どこを向いても男と女がくっついて、あほみたいに笑ってる。春真っ盛りだ。
でも恋って、そんな、一瞬な青春の為なの?若い、十代を華やかに色づけるだけのものなの?そんな、クラススローガンになるような、そんな綺麗で上っ面なモノで、終わらせていいものなの?
恋って?私にはみんなが分からない。だから尋ねる。

キーンコーンカーンコーン……
 チャイムが鳴って、ゾンビみたいにぞろぞろ動いて各々の席につく生徒達。いつも通り、朝のHRが始まっていくと思ったら。
「我がクラスに、転校生が来た。ほら、入りたまえ」
 朝の挨拶もせずにいきなり先生が発した。 
 開けっ放しのドアから、小さな爪先が顔を見せていた。女子生徒のようだ。
「あの、初めまして。この度、こちらのクラスの一員になります、影谷遙です。これから宜しくお願いします」
 少し上がっている肩。枝のように細い足。ややふくよかな胸。小さくて真珠みたいな手。少し緊張気味に教室に入ってきたのと対照的に、はきはき話す彼女はしっかりした芯はありそうだった。それでいて彼女は、どこか、私を惹きつける。
 私達は時間はかけずに仲良くなって、ずっと彼女が一緒に居た。いや、私が一方的に一緒に居たかったのかもしれない。だって、私の男の事、忘れていた程。彼女が他の人間と緊張しながら話しているのを見て、私は不安と怒りがこみ上げてきた。新学期で、初めて仲良くなった人の、友達に会った時の気持ちと似ている。嫉妬してしまう。何故なのかは、よくわからない。ただとても独占したかった。決して、エゴなどではないけれど。
遙がうちのクラスにきて、もうすぐ一ヶ月経つある日の放課後。私は遙と一緒に帰っていた。私が気安く下の名前で呼んだら、あまりに喜んだので、こう呼ばせてもらった。
「あの、いつも、色々ありがとうございます。たくさん、面倒見ていただいて、仲良くして頂いて」
「ああ全然、気にしないでよ。あと、敬語もいいんだよ?友達だし、女同士だしさ」
「えっ……」
 何かを気付かれたように、遙の頭がびくっと動いた。肩もわなわな震えている。何か言いたそうに、少し顔がこっちに向きかけたけれど、すぐ俯いた。
いきなり黙ってしまった。何か言ってしまっただろうか。最近少しずつ直ってきた俯きがちな顔を覗き込んだら、少し目が潤んでいた。泣いている。
「え、どうしたの?ごめん、何か、良くないこと言ったかな。ごめん、泣かないで」
「……いえ、違うんです。あの、あの、ごめっ、ごめんなさい」
 私は抱え上げるように彼女の肩を抱いた。細くて、小さな生き物みたいに、ビクビク震えてる。支えてあげるよ。私がね。
「……あの、今日は、もう解散に、しませんか」
 泣き止んできた。まだ震える声を覆い隠すようにそう言われた。
「え?ああ、いいよ。でも、ホントに、大丈夫?」
「はい、すみません、折角誘って下さったのに」
まだなにか言いたそうだった。振り切ってこっちを見てきた。やっぱり。やっぱり可愛い子。
「……あの、これからも、その、仲良くしてくれますか?」
 ああ、そっか。わかった。わかったよ。私が知らないあの気持ち。感じたことないあの気持ち。こういうことだったのね。そうなのだとしたら、ああ、なんて、苦しいんだろう。でも、この苦しみは、きっと今だけよ。
「……うん。当たり前じゃん、遙」
「あ、ありがとうございます。じゃあ、さよなら」
「うん、また明日ね」
何故か慌てて走り去っていく彼女の背中に、明日も会いたい気持ちを投げかけた。

   ×××

 私はあの人と別れてから、すぐ走って家に帰った。私の心臓は走った疲れと、嗚咽と、そして喜びと嬉しさで、外からでも聞こえるんじゃないかってくらい、とてもうるさかった。
 はあ、どうしよう。気付かれたかな。だって私、まさかあんなこと言われて、泣くなんて、思わなかった。どうしよう。でも、あの人なら理解してくれるかな。多分、大丈夫だと思うけど。でも、良かった。こんなに報われた気持ちになるなんて。親にも、分かってもらえなかったのに。本当に、嬉しい。嬉しくて泣いたことが恥ずかしくて、慌てて走って帰っちゃったから、明日、ちゃんと謝って、そして、伝えよう。
その日はごはんも食べず、お風呂も入らず、制服のまま、とても深い眠りについた。

次の日、私はあの人に、どういう訳だか、何も言わずに旧校舎に連れていかれた。そういえば私はまだ行ったことがない。何をするんだろう。私、あなたに伝えたいことがあるのよ。
「ねえ、遙はさ、好きな人とか、いるのかな」
移動しながら突然言われた。そんなこと、話したことなかったし、お互い気にしていなかった。
「え、いないよ。こっち来た、ばかりだし」
「そっか、そっか。敬語、なおったね。……あ、この教室。入って?」
 何階か分からない、かび臭い教室に入れられた。
「え……ねえ、何するの」
後ろでドアが音もなく閉まった。あの子がそっと閉めている。光を外に閉め出して、闇を部屋に連れてきた。
私は怖くなって、下顎が震えていた。いつもこの人とは普通に、話せるのに。

「……ねえ!」
 裏返った声で、私は呼びかけたのに、無視された。
「ねえ、私ね、遙を初めて見たとき、とっても仲良くなりたいって、思ったの。ずっと気になってたんだ。どうしてこんなにも惹かれるのか。どうして一緒にいて、こんなにむずむずさせられるのか。ずっと分かんなかったんだけど、気付いたんだよ。」
やっぱり、気付かれた?どうしよう。今になって狼狽え始めた。
「私ね、気付いてるか分からないけど、たくさん、男と援交してるんだ。この学校の生徒だけだけどね。でもそれ、お金とかじゃなくてね」
知らなかった。なんでそんなこと、今言うの? 
「恋愛したことなくてね、私。恋っていうものを、感じたかったんだ。でも、よくわかんなかった。いくら男と抱いても、何も感じない。体が感じる快感だけ。それでおしまい。心は満たされないまま、終わる」
「ねえ!何の――」
「……だけどね、私があなたに惹かれる想いっていうのは、恋なんだって、分かったんだ。あの、好きな人とか出来たことなくて、恋したこと、私はなかったの。初めて抱いた恋心で、しかも女の子に対しての。だから、全然気付かなかった」
「え……」
「遙、私のこと、好き?」
「も、もちろん!優しくしてくれて、大好きです」
「それ、友達として、だよね」
「え、……はい」
「私は、ね。恋してるのよ。遙に。ねえ、……求めても、いい?」
言いながら、彼女はじりじり近寄ってくる。二の腕を掴んできた。何が起きているのかわからない。と同時に、悟った。
「あ、や、やめて!私は、ダメなのっ!誰とも、そんな関係になっちゃダメ!出来ないの!」
「大丈夫、私は遙が好きよ。あなたも私のことは好き。それ以上でも、それ以下でもない。怖がらないで」
私は彼女に、優しい声とは裏腹に、慣れた手つきで抑えられた。動けない。力が入らない。
「ダメだって!そんなことしたら、あなたが後悔する!私に失望してしまうわ!あなたの愛の気持ちが台無しになっちゃう!」
「……それでも、私はあなたの事が好き」
少し考えてから言って、彼女は私のスカートの中に手を伸ばした。もう、引き返すことは出来なくなってしまった。
「え……」
彼女は、手応えに違和感を覚えた。女性にはないはずの、違和感に。知ってしまった。もう終わりだ。こんな伝え方、誰が望んだろう。彼女は放心したような目をしている。
「……そう、私は男。……性同一性障害なの。両親は信じてくれてなくて、自分で働いて、そのお金でこんな体つきになったけど、そこは、……まだ手術をしてないの。だから、止めてほしかったの!昨日、女同士だって言ってくれて、とっても、嬉しかったの……!だから、今日自分で言うつもりだったの!なのに、なんでよっ……!」
泣きながら訴える私に、彼女は長く時間をとってから、

「ふふふ」

笑った。

「何がおかしいの?ふざけないでよ!あなたは私の心も、あなた自身の一途な想いも、踏みにじったのよ?」
「……大丈夫だよ。ごめんね。私が悪かった。相手の気持ちを汲めないんなら、私の恋は、もう、実らないのかもね」
 優しい笑顔で、口先だけみたいな言葉を言われた。
 まだ終わりにできる。彼女の想いも。私の思いも。
「……もう、やめて?ね?」
「うん。分かった。ごめん。でも、私はそれでも、遙を好きだよ」
「うん、ありが――」
突然息が詰まった。口を押えられた。彼女の口で。
何が起きたか、理解出来なかった。ううん。もう分かりきってたことでしょう?信じたくなかった、だけでしょう?彼女の想いを、認めること。彼女の口付けを、受け入れたこと。彼女の唇は、柔らかくて、甘い果実のようで、欲が剥き出しで、非常に、美味だった。何度も、欲してしまう。私は、人を、好きになっても、いいのかな。
彼女に愛された人達は皆、気付いたら吞まれ、落ちてしまうんだろう。誰にでも愛されてしまう。そんな魅力のある、彼女に奪わせたのが、私で嬉しかった。掠れた声で想って、伝えた。
「……好き」

その日以来、私はしばらく学校に行かなかった。
女の子になるために。
あの人と、抱き合えるように。
でも、だからって、まだ私は、あの人を心から許せない。愛せない。
 あの人に汚された人を。
私で。


私達の教室がある、去年増設された新校舎の、向かいの小さな旧校舎。
「うっ!」「……!」
 二階の、もう誰も使わない空き教室。
「死ね!」「……」
 もう何も聴こえない。込めた愛も、秘めた恋も、みんな無かったもののよう。
待っている。孕んだ男が。これで何人目?
「死ねぇ!」
 さあ消えて。
 部屋には多くの男子生徒が寝転がっていた。
次の倒れた男に股がる。体を何度も刺す。体中。全部全部全部。
ドアが開いて、光を招き入れた、あの人がいる。女の目をした私は彼女を見る。
「すきだよ」
私は掠れた声で言った。
その人は私に抱きついてくれて言った。
「ありがとう……。私も、大好き」
私達は、幸せに身を喰われ、泣いて、笑っていた。

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