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恋愛できなくて何が悪い。

私は元来、恋というものがよく分からない。

だから友人や仕事で恋愛話を持ち込まれても
人とまともに付き合った事すらないのだから。
話せるネタも話せる事もない。

かといってあまり気にして生きては来なかった、
来なかったのだけれど、
つい先日、相手先のクライアントに
「恋愛話はないの?その年でそのキャラで
自分のネタとして
売り込まなきゃ勿体なくない?
俺ならそうするけど。」
と言われてしまった。

いやわかってる!わかってるよ!
仮にもクリエイティブな仕事をしていて
恋愛話が無いことも、それを面白おかしく語れない事も圧倒的に致命的なのくらい。

だけど、私はそんな事で自分の性別を、
自分の人生を消費させたくはないし
何より恋愛出来るのが普通だと思ってる人間達の固定概念で縛られたくはなかった。

恋愛って何かネタとして消費される出来事なのだろうか。
自分の性別を売りにして語らなきゃいけないの?
相手を楽しませる為にしてきたの?
頑固な考えなのは分かっていても
世俗に紛れなきゃいけないなんて余りにも寂しいと思ってしまう。

そもそも、アセクシャルなのかと
問われると上手く答えられない。
女の子は人より好きだけど、
それは憧れに近いし、
男の子にはちゃんとトキメキも覚えたりするし
好きという感情に限りなく近いものも感じたりする。
ただ、ハッキリ人を好きと思えたことも無い。

この嫌悪感を人に説明しても
理解されたことはないし
なぜこうなったか
思いつくし、思いつかない。
些細なきっかけだったような、
それでいて積年蓄積された消費なのか
そもそも自尊心の低さかもしれない。
とにかく恋愛対象として見られる事が苦手だった
例え自分が少しでも恋愛として見てる相手でも。

何が言いたいかって
私と同じような人をSNSをしていると見かけるし、
後天的になってしまった人だって沢山いるはずで
誰かに消費され傷ついている人はこの世に沢山いる。

ただ、そんな人達を知らない人たちが沢山いるだけ。

だからみんな、
マジョリティを押し付けられたら怒っていい、
教養が足りていないんだと怒っていいんだよ。
自分のために自分らしくいていい。
世の中はもっとマジョリティといわれるものから抜け出すべきで
教養として学ぶべきなんだ。

だから私はなんと言われようと、その度に傷つこうと
私は私として生きていきたい。
次も同じように
「恋愛をしなきゃ、若さを売らなきゃ」と言われたら

恋愛できなくて何が悪い。
と思うだろう。


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