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書けないの対処法_書く道具を変える

※当記事はブログからの転載になります。

書けないという状態は非常に辛いものです。

その状態をどうにかしようと自分なりに無意識に行っていた方法があったので、それについて書いてみます。

書く道具を変えるとは?

書く道具は様々あります、紙のノートとペン、パソコンとキーボード、タブレットとデジタルペンなどなど。そういった道具をシフトさせて書くことを続けてみると、書ける様になる。そういった事が僕の体験の中でありました。

そういった道具を跨いで書くと何が変わるのでしょうか。

思考と書くスピードの同期

第一に挙げられるのは、思考スピードと書くスピードの同期です。

人には誰しもその日の状態というものがあります。今日は体調が良い、今日は頭が重くて思考が鈍い、などです。

そういった状態は自分という存在から切っても切り離せないもので、その場合は道具の側(がわ)を変えてみる必要があると思うのです。

体調が良くて思考スピードが速いのなら、パソコンとキーボードで文字入力をするのが良いのかもしれません。ペンや鉛筆で紙のノートに筆記するよりもとても早く文字を書く(入力する)事が出来ます。

逆に思考スピードが遅い時は、紙のノートとペンや鉛筆を使うとスピード的に丁度良いのかもしれません。

スピードが同期すると心地よくスラスラと書くことが出来ます。リズムに乗っているような、思考→文字への変換効率が極めて高いような。そういった感覚があります。

あくまでも道具は道具です。自分に都合のいいように使うのが大事です、けれど道具は制限でもあります。枠なのです。その型に(意識なく)人間を当てはめていきます。

自分がどの道具の、どういった作用に肖(あやか)りたいのか、それを少し立ち止まって考えてみることが大事なのかもしれません。

手触りが変わる

道具にはそれぞれの手触りがあります。

紙なら自然由来の温かみのある手触り、キーボードならカチカチとした押し感とリズムのある手触り、タブレットとデジタルペンは機械的な無機質な手触り。

そういった手触りも人の感覚を刺激し、思考・思索にも影響する様な気がしています。

伝導率100%で思考に影響する訳ではないと思いますが、意識した方が良いくらいには影響が有ると感じています。

書く道具をシフトさせていくと起こること

まずは、書けるようになります。

何かの本で読んだのですが(おそらくライティングの哲学TAKE NOTES!)、人は白紙を恐れる事が多いみたいです。

僕は逆です。白紙だからこそ、何のしがらみも無いので色んな事を好き放題書けます。

書く道具を変えることにはその作用もあると思います。勿論、道具を変えた段階で以前の書き物の続きから書くという方も居るでしょう。

僕は紙のノートならその次の白紙のページ、用紙なら真っさらな白紙、パソコンのエディタなら新規のファイルなどで書き始めています。

その影響は思ったより大きいもので、煮詰まった考えなどが一度リセットされて、スラスラ書く事が出来ます。

そうした白紙に書く行為にはまだ意味があります。

もう一度書くこと

白紙を広げて何かを書く時に、別の道具の上で書いたことをもう一度参照したい場面が訪れることがあります。その時、スマートなやり方はIDや番号など一意の区別できるコードを設けて、それで情報同士を繋げることでしょう。

僕はそのまま以前の記述を書き写しています。

それは単純に記憶に焼き付けたいからでもありますし。もう一度書く際に自分というフィルターまた通して、考えを洗練させたいからです。

ブロガーで作家のごりゅご(五島隆介)さんの著書「アトミックシンキング」でも似たような記述があります。

デジタルで書いた文章は、一度書いて終わりではなく何度も編集することが前提です。一度書いておしまいではありません。必要に応じて修正したり、分解してバラバラのノートにしたり、ノート同士をリンクして移動できるようにしたりなど、デジタルが得意なことを生かしてノートを整理していきます。そして、こういったノートの整理を通じて、同時に自分の思考も整理が進んでいきます。

アトミックシンキング Kindle版 p68

アトミックシンキングではデジタルで書く文章の事を指していますが、僕はアナログなやり方でもそれをやっています。

情報をもう一度咀嚼するのは案外難しいものです。以前の自分はどう考えていたのかを思い出したり、あーでもないこーでもないともっと適切な表現を探したりと。

そういった面倒くささを乗り越えて始めて、情報は活きた情報になるのだと思います。(アトミックシンキングで言えば、アトミックな情報)

面倒くさいといえば、ホログラフィックマイル9号機さんの動画で語られる事も関連しています。

この動画では過程の重要性と、無意識への格納を説明されていますが、無意識への格納というキーワードは、僕の記憶への焼き付けと考えの洗練の両面を表す言葉のように思います。

終わりに

書くことと、書く道具を変えることの影響を考察してみました。

ここまで書いて思うことは、「書くこと」が何故これ程までに人を惹きつけるのか、です。

書かなくても死なない人が大半のはずですが、それでも「書きたい」と願う人も多いはずです。

この魅力は別の記事で考察予定です。

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