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日記、のようなもの

書きたいと思っていたことが沢山あったのに、その都度メモに書き留めておかなかったから記憶からこぼれ落ちている
忘れたくないことが多すぎる、というより忘れる事が怖い
死にたい死にたいと言っている癖に死ぬ事は怖い、みたいなよくある話と似ている

鮮度の高い感情を保存しておく、みたいな素敵な言葉をくれたのはたしか幼なじみだった
私の心が死んでいる時だったと思う
忘れないように残しておくことを鮮度が高い状態で保存するって表現するの、そういうところ好きです

矯正歯科に行ったついでにカフェに立ち寄ってお昼ご飯を食べた
普段は頼まない癖に、ジェノベーゼのパスタを頼んだら案の定途中から味に飽きてしまった
トマトのパスタはいくらでも食べれるのに、クリーム系とかジェノベーゼになると8割くらいでお腹いっぱいになっちゃう、これは教訓、次から気をつけよう

生ハムがのったジェノベーゼ

今日のスープはじゃがいもと豆乳の冷製スープだった
豆乳、口が痒くなって飲めない、いつまで経っても
それなのに毎回今回はのめるかなって期待して口にするの、良くない、一口だけで痒い、勘弁してほんとに

ずっとアレルギーで食べれなかった卵を克服したのは大学生になってからで
インスタでよく見る憧れふわふわパンケーキを初めて口にしたのも、友達と遊びに行って私だけドリンクしか頼まないことが無くなったのも、相手に気を遣わせないようにする為に「お腹空いてないんだ〜」って言うことが無くなったのも、ありふれた「マック行かない?」の誘いを快諾するようになれたことも、全部全部嬉しかった
バウムクーヘンとかカステラとか、「そんなに期待するほどおいしくないよ」って私に言ってたお母さんの言葉は気を遣っているんだろうなと思っていたけど、実際食べてみると想像よりも普通で、気を遣われていた訳ではなかったことが発覚した

生卵を初めて口にしたのは大学1年生の時
好きになった年上の人に連れて行ってもらったお店のシーザーサラダの上にのった卵だったな
その後観覧車にのったけど、好きな人と乗った観覧車よりもこの卵を食べれたことの方が私は嬉しかった、
おもしろい

1番嬉しかったのは【お母さんの卵焼き】を食べれたことだった
お弁当って必ずみんな卵焼きが入ってるじゃないですか、誰々の家の卵焼きは甘いとか、うちはしょっぱいとか、何かけて食べる派?とか、あれが憧れだったから、帰省して初めてお母さんの卵焼きを食べた時はこっそり泣いた
うちのお母さんの卵焼きはほんのり甘かった
運動会の時の特大弁当も、私だけ持参していたお弁当も全部全部冷凍食品使わずに作ってくれてたな〜
懐かしい、大好き


本を持ってくれば良かった
お勧めしてくれた本は全部読みたい、お勧めしてくれた人の内面が分かる気がするから


先月始めた看護?介護?のバイト、結構きつい
汚れ仕事力仕事、という感じ
介護士の人が、裏で嫌いな職員のことを「あのくそばばぁ」と呼んでいた、お前もくそじじいだろ!^_^
職員同士はあんまり仲は良くないみたい、別にいいんだけど。
入居者さんのことを陰でじじい、ばばあ、とか言ったり
呼び捨てで呼ぶの、本当に好きじゃない。
自分より長い年月を生きてきた人へのリスペクトに欠ける。お前も私もいつかじじいばばあになるというのに。将来自分もお世話されるかもしれないのに、似たような認知症になるかもしれないのに、そんなことも想像できないのか、想像力に欠ける人は嫌いだ。

認知症で何もわからなくなってる人でも目を見ると、自分の中が見透かされている感じがする。
分かっていない訳じゃないのではないかと思う、
分からないだろうと思って発された悪口、多分届いていると思う、そういう目をしている。
東野圭吾さんの「赤い指」を思い出した。

何にも分からなくてごめんね、と言われた。
何にも分からないのに、分からない事が分かるっていう感覚はどういう感じなんだろうと思った。

手のかかるババァでごめんね、っていつも謝ってくるおばあちゃん、面白くて好きなんだけど
この前巡回に行ったら枕側に足があって、ベッド上で謎に180度回転していた。「おちょちょちょちょ!歯探してたら回っちゃった!!」って言いながら。
おもしろかわいい、好きすぎる。

かなり認知症が進んだおばあちゃん、弄便していたり、この前は脳梗塞を再発してご飯をほぼ粘土みたいにしていた。仕方ない、って放置している職員を見て悲しくなった。
私が医療系に向いていないのは、感情移入しやすいのも大きな理由の1つだと思っている。
すぐに悲しくなってしまうし、どうにかしたいと思ってしまう、どうにもできないのに。
お医者さんとかは特に、ある意味割り切って付き合っていけるメンタルの強さがある人の方が向いていると思う、だからといって冷徹な人ばかりでも成り立たないけど。
最後の統合実習で元気だった受け持ちの患者さんに癌の転移が見つかって、ほぼ余命宣告された状態に立会い、受け止めきれていない本人の感情の当てどころに自分がなった時、本当に自分は何もできないんだと思って
ナースステーションで大泣きしたのを思い出した。
実習で辛い時や厳しくされた時に泣いた事なんて一切無い位あまり他人からの攻撃は気にしないタイプなのに、こういう時は信じられないくらい脆くなってしまう。
私は自分で思っているよりも内側がずっと脆い。
外のコーティングだけガチガチで、中からやられるとすぐに崩れる、なんて言うんだ、こういうの。
こういうお菓子、なかったっけ。

日々あったこと、全部伝えたいと思うのって
家庭環境が恵まれてるからだよって昔言われたことがあった。本当にそうだと思う。
歩いてて見つけた変な看板とか、綺麗なお花とか、
この前見た蛍とか。
全部共有したいなと思う、聞いて欲しいし伝えたい。

考えてる事全部話したいし相手は何を考えているのか聞きたい。
それを相手も同じだと思い込んではいけないし、強要しちゃいけない、自分の中だけで温めておくべきことも沢山あるってこと、きちんと理解しないといけない。


蛍って、成虫になったら水しか飲まないらしい。
西日本と東日本では光る秒数が違うらしい。
源氏蛍は綺麗な水辺で育つけど、平家蛍は沼で育つらしい。


「まだ緊張してるのかな?」
「もっと〇〇さんのカラーを出していったらみんな話しかけやすいし困った時は助けてくれるよ!」
「かなり人見知りなのかな?」とかなんとか言われた。

人見知り???この私が???
オンオフの差が激しすぎるの、私の良くないところだ。
興味関心がない人、仲良くする必要がないと判断した人への対応があまりにも塩すぎるんだと思う、勿論無意識。
必要最低限のことしか話さないって、気を遣っている訳じゃなくて気を遣わなすぎているだけ。
だってじじいとかばばあとか汚い言葉使う人と仲良しごっこしたくないんだもん。ごめんって。

何のために本を読むかって
「何かを伝えたい時に自分の感情をより正確に伝えられるようにするためだよ、語彙力や知識の引き出しを沢山持っていた方がより正確に伝えたい事を伝えられる」と教えてくれた高校の英語の先生の言葉をずっと大事にしている。
何のために本を読むか教えてくれる人なんて少なかったし、納得する理由が見つけられずにいた自分にとって1番しっくりきた言葉だった。
大切な人に伝えたいことがある時に、なるべく自分の内面との剥離が無くそのまんまの形で伝えられるようにする為には大事な事なんだって。
「夕日の色って何色だと思う」って聞かれた時に、「リンゴみたいな赤色」って答えるのと、自分の知っている限りの言葉や感覚で説明するの、だいぶ違うと思う。
去年の私、なんて説明したんだっけな。


過去を遡って書く事が多い。
未来を見て書きたい、


鬱屈した写真が好きなの、ずっと変わらない。
どこまでも蒼い碧い青い写真が好きだし、目が眩む光の反射が好き。
よくわからないチグハグな組み合わせが好きだし、今にも崩れそうな苦しそうな表情で作られてる作品が好き。
光が好きな癖に光が宿っていない目が好きなのも変わらないなあ、

病んでる?私


人って自分にない部分を持っている人に惹かれるタイプと自分と似ている人に惹かれるタイプの2つに分かれていると思う。
私は圧倒的後者だ。
自分と性格のどす黒い部分が似ている人と付き合って写し鏡を見ているようだと話した事がある。
自分の性格の、嫌いな部分が似ている人を好きになっても碌なこと、ないかもしれないと今は思う。
自分の性格の、キラキラしていて素敵だと思う部分が似ている人、話していて楽しい。
自分のことももっと好きになれる感じがする、ことに気づいちゃった、楽しい。



共感できる歌詞が増えた
ことで、自分が特別だと思っていたことって案外特別じゃなかったのかも、と思って悲しくなった。
だって他の人も自分より先に同じ事を経験して同じ事を思ってるって事だから。
それとも別に、特別だったって思い込んでても良いのかな。そうしようか、


呪いと祈りが似ているって、気づいてしまった事
それが歌詞になっている曲を大切にしていた
割と特別だと思っていたけど最近よく見る言葉になってしまった

「僕が呪いになる前に君を愛しきってさ抜け殻になってしまいたい」って歌詞、一目惚れならぬ一聴き惚れした、これは最近の出来事。


花火の花言葉って「口実」らしい。

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