音楽、沼、映し鏡、

はっきり言ってしまえばバンドを始めてからのこの1年、メンタルがやられっぱなしでギリギリで生きている感覚がある。
もうよく分からないです何も。
とっくにキャパオーバーなのに
音楽に救われて音楽に苦しめられてを繰り返している、違法ドラッグや覚醒剤を使う人はこんな気持ちなんだろうか。

東京に行って中学の同期と高校の同期に会った。
2人とも会うのは成人式ぶりだった。
軽く話して、最近どう?と近況を聞きあったりした。
2人とも私に対して「変わったよね、大丈夫?」と聞いてきた。
仲良いグループの中でも1番変わらないと思っていたのにね、と言われた。
変わったよねって、どういう変わったなんだろうか、見た目?中身?人付き合い?

全部変わったよね分かってます
いい意味でも悪い意味でも無くて変わったんだよね
変わらないと壊れてしまう自分がいるのが分かっていて、環境のせいにしているけどそれって結局自分が脆いからなんじゃないかって最近思ってしまってよく分からなくなった
でも自分の芯の部分はずっと昔から変わっていない自信と自覚があって、必死で外側だけ変わることで崩れないように保っている
芯の部分まで振り切れて変わってしまえたらきっと楽に呼吸が出来て、よく分からない違和感で溢れた空気になんて気付かずに楽しく生活できるんだろうな何が正解か分かんないな


嫌なことは嫌だと言いたいし
言われっぱなしは悔しいです
言い返すことが事をめんどくさくするとか、事を大きくするとか、そんなこと言われても
じゃあ私のこのやり切れない気持ちはどこへやればいいんですか教えてください
もう触れないようにしよう、とか、もう関係ないことだから、とか、いつまでも言わなくても、とか
触れない事が「大人」みたいな、「大人」になるってそんな事でしたっけ
傷つけられたことって一生自分の中に残っていて、それが形式上解決したとて傷ごと無くなるわけではないんです、そんなの当事者にしか分からなくて、結局皆他人事で、別に全てをわかって欲しいとか100%自分の味方でいて欲しいなんて思っていないけれど、そういう無責任な言葉に圧迫されて息が出来なくなっている。
大学生活の人間関係で学んだ事の大きなものの1つは「結局皆他人事」ということで、自分が思っているよりも浅くて薄っぺらい人間関係だということだ。
目的に沿った人間関係というか、あくまで何かを楽しむという目的の為の人間関係が樹形図みたいに広がっていて、本当に心を許し合えたり怒りあえたりする友達はほんの一部。まだこのほんの一部に出会えているだけ運がいいのかもしれない。
好きになったらとことん好きな私の性格上、深く狭い人間関係に抱く感情を浅く広い人間関係にも持ち込みがちで、その都度裏切られたような気持ちになっている。けどそれはきっと芦田愛菜ちゃんがいつか言っていたように、「裏切られた」とかではなく自分が「期待していたものと違った時にそれを受け止められるだけのキャパが無かった」という話で、言ってしまえば信用し過ぎる自分が悪い。
大学生になってこれでもかという程裏切られたような経験をして、その都度悲しい思いをしてきたのに結局いつもまた人を信じてしまって仲のいい友達に「本当に人を見る目ないよね、」と言われてしまった。
私のいい所でもあるし悪い所でもあると思う。

ずっと心がジクジクしていて、今の私はまるで屑男に沼っている女の子みたいです。
人間関係全体が恋愛みたい、
遊んだり会ったり音楽をしていると楽しくて楽しくてみんなの事をすきだなあと思って、嫌なことも何もかも全部忘れてしまって、このまま皆とずっと音楽が出来るならもういいや!と思うのに
1人になったり違う環境に居ると嫌な気持ちがチラついて苦しい。
なんかもう言ってしまえば誰も信用してないし出来ないし、結局元からの仲の良さとか男女の物ごとの見方とか当事者問題か否かとか楽器の上手さによる無意識の忖度とか恋愛感情とかそういうのがごちゃ混ぜになっていて、全部がよく分からなくなってしまったけど
私がすごく嫌な思いをしたのは確かで、その嫌な思いを吐露したとて空気が悪くなるから我慢するしかないっていう現状こそが全てを表している気がする。

この恋愛、良くないかも、って思った時って、大抵関係を切った時は辛いけど切ってしまえばこの選択は間違ってなかったって思う事が多いことを知ってしまっているから、この人間関係も全部切ってしまえば楽になれるんじゃないかと最近思うようになった。
「音楽はどこでも出来るよ」と友達に言われて、たしかにここに拘る必要なんて無いのかもしれないと思ったけれど「ここで皆とずっと続けたかった」っていうのが本音で、ああ、「君はどこでも幸せになれるよ」とか「もっといい人が君には居るよ」って言われた時に「そうかもしれないけど私は貴方と幸せになりたかった」って思うのと全く同じじゃん、と心の中で笑ってしまった。
あの時の貴方が好きだったのになあとか出逢ったばかりの頃を懐古するけど、もう時の流れと一緒に全てが変わってしまってあの頃には戻れなくて、みたいなのと全く同じで、もう昔みたいなものには戻れないんだろうと思っているというか戻れないことが確定していて、苦しい。
けどもしかしたら本当は別に当初からそんなにとてもとても深い仲を築いていた訳では無いのかもしれないな、だってこんな脆いことで崩れてしまって、何もしていない人の悪口だってボロくそに言えちゃうんだもの、これも私がきっと信用し過ぎていただけ。

自分のこういう気持ちとか苦しさとかを吐き出したり整理したりする為のnoteですら外野がうるさくて
私は別に綺麗なこととか日記だけを残すつもりはないのにそこを規制される意味がわからなくて
嫌なら覗かなければいいだけのSNSをわざわざ覗いてあーだこーだ言うのに気持ち悪さを覚えて
URLを変えた。
突っ込まなかったけど、とっくにURLをプロフィールから削除していたのに見れているのは何故なのでしょうか、ブックマークでもしていたのかな、わざわざブラウザから見ていた?それともフォローしている?
見ていて気に入らないのであれば見なければいいだけのSNSを見るのは人間の性といえばそうだけれど
私には理解し難い行動なのでやめてもらえると助かります。

男友達と少し口喧嘩をして、お互い謝って、もうこの事(喧嘩の元々の原因の出来事)には触れないようにしよう、となった。
1度解決したことを掘り返す趣味も、お互いの気持ちを言い合って謝って解決した後にごちゃごちゃまた言う趣味も全くないので何も言わないけれど、
仲のいい友達が私の悪口を書くSNSは許されるのに私が自由に綴るnoteは許されないんだ、と思って
なんかここからもう私の色んなシャッターが落ちた。
もう怒りもしていないし何も思っていないけれど、この「何も思っていない」ゾーンに入ってしまった私は人間関係の最終段階にきているとこの春学んだので、ある意味変わったと思う。

人に対して言う「怖い」ってとても無責任な言葉だと思いませんか、
「あの人怖い」って言うと性格が悪いのかな、とか、関わりづらい人なのかな、とか色んな事を想像してしまう。決定づける要素なんて何も無いのに無意識に関わるのをやめとこう、ってなってしまう。
「怖いよ」って言葉、意外にも傷つく言葉上位に入るかもしれない。怖くさせてるのは貴方でしょう、それなのに無責任になんで「怖い」とか言えるんですか、言われた側はどうしようも出来なくなって、これを本人に言うのは本当にずるいと思う。

こうやってゴタゴタ色々傷ついているうちにフォローを外した元彼のことを思い出してしまって
こんな時に思い出すのかと情けなくなった。
私の書いた言葉を良いねってそのままに受け止めてくれていたのは唯一彼で、そういう所を思い出す度に彼ならなんて言ってくれるかなと思って苦しくなってしまう。私なんかより全然性格が悪くて人を見下しまくっていて、そういう所を鏡越しに見る感覚で嫌だなあと思っていたけど、本当は鏡越しに見ていたんじゃなくて映し鏡だったようだと今更気づいた。
だからきっと嫌いだったし好きだったし合っていたし直して欲しかった、そういえばいつか友達にも「私を見ているみたい」と言ったことがあった。
私が所属しているサークルの空気を「仲良しごっこみたいで気持ち悪い」と彼が言ってきたことがあって、その時は単純にそんなことを言うなんて1種の僻みみたいなのもあるんだろうと軽く反論しながら受け流していたけど、今なら少し分かるかもしれない。
分かりたくなかったけど、彼の方が先に気づいていたのかも。



何が言いたいかよく分からないけどとりあえず人間関係に疲れてしまった。
音楽を皆と同じ場所でずっと続けたくて同じ大学の院進を希望していたけど、拘る必要、ないかも。
すり減っていく精神を感じすぎてきつい。

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