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私の中の透明少女

この気持ち悪い春をすっ飛ばして早く夏が来れば良いのに、と思う。
夏は1番生きている実感があって良い。暑いのは苦手だけど。

北海道の夏は圧倒的に蝉の声が足りない。
あの、地上に出て7日間で終える短い命の声が聞こえない。
よく実家のベランダに毎年蝉が迷い込んできていたことを思い出す。一際声が大きく感じたら、「あ、また迷いこんできた。」と思いベランダを覗く、夏の恒例行事。鳴き声でミンミンゼミかな、とか、ツクツクボウシだ、とか考えながら狭いベランダを探すのが好きだった。
ある日、ベランダに転がっていた蝉の死骸を見つけた。ここで生命を終えたんだ、と思いながら植木鉢の土の中にそっと埋めた。母にバレないように。植木鉢の土は有り得ないほどに乾燥していたから、当然蝉が分解されるはずもなかった。毎年1回だけ、少し植木鉢をそっと掘って覗いた。命が消えたあの頃のままであの蝉は、ずっと私の中で生きていた。4年後くらいかな、急に蝉の姿が消えていた。家族の誰かがわざわざ捨てたとは思えないから、きっと生まれ変わったんだろうなと思うことにした。ずっと私の中に閉じ込めていてごめん。

クーラーをガンガンに効かせた部屋で、つまらないなと思いながら事務作業の様に淡々とこなす夏休みの宿題。外から聞こえる夏休み限定解放された小学校のプールで遊ぶ子供の声。冷たい麦茶のコップについた水滴が垂れるのが嫌いだったな。漢字ドリルの練習で汗ばんだ右手が鉛筆で黒くなるのも嫌いだった。この時ばかりは左利きが羨ましかった。

よく母と妹と北海道に遊びに来ていた8月。
庭で祖父が育てた大きなキュウリとトマトを収穫するのが好きだった。祖父が育てたキュウリは信じられないほど大きくて、私たちは「お化けきゅうり」と呼んでいた。トマトは黄色いトマトが採れると嬉しかった。
夏って、赤いトマトに紛れる黄色いトマトを見つけた時とか、素麺に数本だけ入ってるピンクとか緑の麺が自分のお皿に入っているのを見つけた時とか、ああいう小さなレアな出来事、嬉しくなりませんか。あんな小さな喜びを忘れたくないし大人になっても感じたいと思っている。
小学6年生の時、夏休みの作品制作の一つで、絵手紙を書いた。
祖父が育てたトマトの絵と、皆で見たお祭りの花火の絵を描いた2枚の絵手紙に自分で言葉を考えて添えた。その時の言葉はもう忘れてしまったけど、たしかトマトは「お日様の光を浴びてなんたらかんたら」だった気がする。その時感じたことってやっぱり残しておかないとダメだ。
これは夏休みが終わった後のことだが、絵手紙なんて小学生は興味無いだろうなと心のどこかで思っていた私の目に、私の絵手紙を熱心に見てくれていた男の子が映ったこと、今でも覚えている。
見た目、すごくチャラいのにその子は絵が好きだった。一時期私はきっとあの子のことが好きだったな。
同じ班になった時、千と千尋の神隠しの作画の話をした。絵の勉強をして、いつかジブリで働いてみたくない!?と2人で話したこと、貴方は覚えていますか。
その頃の夢は変わらず、デザイン系の学校に進み、他の人が考えないようなポスターを作っている貴方のインスタを見るのが好き。陰ながら応援しています。

私が過ごしてきた北海道の夏の思い出には野良猫が必ずセットなように思う。野良猫無しには語れない夏の思い出、沢山あるけど大切だからもう少ししまっておこう。

大学に入ってから北海道で過ごす夏はまた全然違ったもので、新鮮だった。
学生会館で出来た友達と買い物に行き、帰りに北大の中央ローンの川に入った1年生の夏、友達とキャンプやBBQをした2年生の夏、そして音楽に塗れていた去年の夏。
あの時の水の温度も、木陰が涼しいことに感動したことも、水平線に沈んでいく夕日も、すぐに落ちてしまった線香花火も、炭の匂いも、花火を打ち上げた時の歓声も、帰りの遊び疲れた体の重さも、初めてステージに立った緊張も、沢山練習をすることの楽しさも、夜に皆で歌った「君はロックを聞かない」も、肌寒い夜に聴いた藤井風のピアノの音色も、夕日に照らされながら聴いた最初で最後の透明少女も、きっとずっとずっとこの先忘れないと思う。

大学生活最後の今年の夏はどんな夏になるんだろうか、と考えながら、
今年も気づいたらなんとなく夏になっているのだろう。

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