邇邇芸の手紙について
小説咲夜姫では、咲代さんが化身となる前(木花咲耶姫だった頃)の結婚相手である邇邇芸命(ニニギノミコト)も化身となって現世に下りています。彼は仁木と名乗り、京都にいることが後にわかります。
その彼がまず、咲代さんが現世に下りて竹細工をしていたことを悟り、寄越した手紙は四通です。
一通目
一通目では、現在は御所(ごしょ:公家など偉い人の邸宅)に住んでいることをまず明かします。そして駿河の国の竹細工の籠(かご)を譲り受けたが、
「その籠が咲夜竹と名付けられていること」
「作り主が女性であること」
に不審を感じ、
「なぜ竹の品に咲夜と付けたか?」
「なぜそれを他国へ伝えたか?」
と尋ねる内容でした。
咲代さんの見事な竹細工を「咲夜竹」と付けたのは甚六さんですが、何の意図もなくただの偶然です。初めて咲代さんと出逢った時、小さな子供なのに大層美しい顔だったので「夜に咲く花のようだ」と感じましたが、名前に「夜」の字は奇妙なので付けず「咲代」としました。その後、竹細工に名前を冠する時に思い出し「咲夜」を用いただけです。
また本文でも明かしてありますが、咲夜竹が他国まで伝わりなおかつ高値が付いたのは、咲夜竹の品が立派だったからに他なりません。
二通目
二通目では、すでに仁木は咲代さんの正体に勘付いています。心のある主に出逢い、名前も付けてもらい、竹の品の名付け親もその主であることも理解したとあります。
しかし暮らしが裕福であり幸福であることは「単に貴女様の力」と書きました。
竹取物語におけるかぐや姫の解釈も全く同じですが"致富長者説話"(または"長者説話")といって「神様と出逢うと人は裕福になる」といういわれがあります。主である甚六さんが何者であれ、咲代さんと出逢ったことで単に裕福となったのであろうという意味です。
また最後には「臆してもいる。驚いてもいる」といった旨を書きます。咲夜姫も現世に下りていたことを仁木は知りませんでした。咲代さんも同じように知りませんでしたから、初めて仁木から手紙が届いた時に激しく動揺する場面があります。
三通目
この三通目が届いたところで、初めて咲代さんは甚六さんへ相談をします。そして正体を明かし、自身が「仁木様と甚六様を勘違いしていた」ことも初めて明かすのです。
この時点で仁木は咲代さんの正体に気付き、
「会わないというなら力の行使に出る」
「主への恋心は戯れ事のつもりか?」
「葦原へ近々に帰るから考え直せ」
と、文で伝えています。
葦原とは葦原中国(あしはらなかつくに)のことで、邇邇芸命が古事記の中で降臨(※天孫降臨)した国です。葦原は現世の国のことで、いわば今のこの日本であると解釈されています。
実はこの時点で、仁木は葦原へ帰るつもりだと書いていますが、その駿河の国も京都も葦原のようなものです。咲代さんは富士の頂上に着いた折に「私共は葦原へ帰るのではなく黄泉の国へ帰る」旨を明かし、葦原ではなかったと訂正しています。
四通目
四通目は、三通目からしばらく後、返事を待たず(咲代さんは三通目に返事を送っていない)、仁木が大名行列を引き連れて駿河の国までやってきて、竹取に出かけていた甚六さんの留守の間、家に残っていた咲代さんに直接手渡しています。甚六さんは行列と仁木らしき人だけは遠目に見ましたが、慌てて帰り、咲代さんから手紙を受け取りました。
四通目は、咲代さんではなく甚六さんに宛てられています。
内容はまず、
「元の国へ帰るには不死の山(富士山)を経由すること」
「咲夜姫の意思はわかった」
「竹職の甚六殿の人柄もわかった」
と、明かします。そして彼は咲夜姫の役目について書き、咲夜姫が世に残ることの意味と、また彼女の命の短さについても書き及びます。
「サクヤヒメの親はオオヤマツミノカミという山の偉大な神」
「姉はイワナガヒメという石の神」
「サクヤヒメは草木と花の神」
「もしこの世で化身のまま亡くなっても代役はいない」
「サクヤヒメは花のように短命」
「あなたよりも確実に早く死ぬ」
「寿命はあなたの四半分未満」
文の結びには「それでも良いなら止めない。あなた方の意思を尊重する」といった旨も書いています。すでに去るつもりの仁木にとっては、人の世界がどうなろうが構わないのです。
またこの手紙の内容から、咲代さんが子供の頃からすごい速さで大人になった理由が裏付けられます。これは創作ではなく古事記にある解釈です。
竹取物語のかぐや姫が速く成長した理由もまた、同じであると解釈できます。