歌声紀行/2019.11.24 楽音に必要な硬さとテクノロジー
今朝、響について考察している。
やはり、硬口蓋が、響を作る。
英語の響は硬口蓋で作りやすい。
日本語は、軟口蓋、だな。。
なんて思う。
硬口蓋は硬い、軟口蓋は軟らかい。
硬口蓋で生むの響の方が、音程が見えやすく、楽音として扱いやすいと思う。
日本語を硬口蓋に馴染ませるのが最近のマイブーム。
ふと思う、、軟らかい楽器って、あったっけ??
弦楽器、管楽器、打楽器、、様々な生の楽器は、発音部分こそ柔軟だが、共鳴部というのは、硬い。
よく響くホールや、石造りの建物もそう。
響くには硬さが必要で、逆に軟らかい楽器というものが、思い浮かばない。
これを声で考えると、硬い共鳴部は??
声帯より上はほとんどフニャフニャしていて、直接的な共鳴部での硬い部分は、硬口蓋しかない。
例えば、
ギターのボティーがスポンジのように柔らかかったら?
トランペットの真鍮が、シリコンだったら?
音は響かないだろう。
楽器を考えるほどに、人間の声を響かせ、楽音にする為の必要な硬さは、硬口蓋にあると言えそうだ。
硬口蓋は、発声において唯一の直接的な硬い共鳴部であり、その硬さで響きを作り出すことが、楽音としての第一条件のような気がした。
もちろん、意識などせずとも、声を出すだけで自然に共鳴はしているのだけれど。
そもそも、楽器とは不自然なものだ。
自然界にある音の再現のために、人工的に作り、操るために、人が作り出した装置だ。
そもそも楽器は歌の伴奏としての生い立ちがあるというが、
そう考えると、整った音律の楽器によって、歌は不自由になったとも言える。
ということは、それ以降の合奏する為の歌声というのもまた楽器同様、人間が自らの装置を駆使して作り出す、人工物と言えるだろう。
だからなんなの?
という、自らの問いに答えるのならば、
音楽というのは調和させる喜びがあり、それは他者が、他の音がなければ、決して得られないということ。
軟らかく発生した音が、硬口蓋で母音を拡張して、その響きを調律し、伴奏の楽音の中での最適な場所へ調和させていく。
そんな風に、音に溶け込むイメージができる。
音は問い詰めれば、科学だ。
近代になって、音が見える形に変換され、その謎や神秘性に、理屈がつき始めた。
歌声は、テクノロジーでもある。
僕はそのことが、
超自然で、生身で体現するということが、美しいと思ってしまう。
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