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なぜ、アーティストは宣伝が苦手なのか?

アーティストの定義

まず、アーティストと言っても様々だ。範囲が広すぎるので、音楽に絞ろう。

しかし、音楽といってもまだまだ範囲が広い。

例えば歌手と言っても、他人の作品を歌う者がいる。作詞にしてもフィクションだったり、音楽演奏にしても、演奏家としての表現者だったり様々だ。

なので、さらに絞り込んで「自分の内面を表現しているアーティスト」としよう。つまり自らを削り出す表現者たちのことを、これからここで話すアーティストとする。

なぜ、アーティストは宣伝が苦手なのか?

アーティストは宣伝が苦手だと思う。

なぜなら、彼らの表現の多くがセンシティブで弱い個々の内面のことだから。

そして「宣伝が苦手」というよりも、そもそも、アートと宣伝は相容れない精神性だということに着目したい。

アートとは「弱い状態そのもの」(弱いというか無防備なもの)

宣伝とは「強く経済にコミットすること」(戦い抜く意思)

つまり自らの表現を宣伝するという行為は、無防備なものを強い意思で発信するという二重構造になる。要するに、多かれ少なかれの「二重人格」を持たなければ、自らの表現を発信することなど出来ないのだ。

だからアーティストは宣伝が苦手。

というか、そもそも精神が自己破綻している。

僕自身、この構造を理解してようやく、自分の立ち位置が明確になった。それはアーティストとしてのSNSをやめるに至った理由の一つでもある。

音楽家も営業できないとね

かつては、音楽事務所、雑誌、テレビなどの媒体がなければ、世間的な音楽家としての立場など築けなかったが、SNSが市民権を得てからは誰もがアーティストとしての名乗りを上げることが可能となった。

そしてSNSが当たり前になってくると、音楽業界の人たちがこんなことを言い始めた。

「音楽家も営業できないとね。」

多分その頃から、ある種のアーティストはこの世から消えたと思う。宣伝や発信の不毛さに殺された才能、、、多分あるんじゃ無いかな。

一方、プラットフォームに残らざるを得ない者たちは、ある葛藤を抱えながら、時代の赴くままに振る舞いを始めた。

しかし、そもそも「音楽家も営業できないとね。」という意識そのものがアーティストにとっては嘆かわしい事態なのだ。

営業してくれる事務所やマネージャーがいるからこそアーティストでいられるということを、業界も、そしてアーティスト自身も忘れてしまった。

今、冒頭で定義したアーティストの種類を把握しないまま、SNSというプラットフォームに有象無象が並び椅子取りゲームをする事態となっている。

ここで定義しているアーティストは、その戦いの中では弱者なのだと思う。

共感は敵か?味方か?

本来、アートにとっての共感とは「喜び」である。それは大きな味方だ。しかし、共感を得る為の「迎合」は、敵なのだ。

その境界を曖昧しにしてしまったのがSNSというシステムだった。

タイムラインの中で行う宣伝活動はまさに、「共感」を利用した宣伝であり、本来の「喜び」という味方に「迎合」という敵が付いて回ることとなった。

それはまるで、味方の中に敵がいるような「不衛生な精神状態」を構築してしまった。

くどいようだが、これは冒頭で定義した類のアーティストにとっての話として。

相容れないという前提から

これからのアーティストとは?

そうだな、それはレイヤーをしっかりとつけることだろう。宣伝というレイヤーと、アーティストのレイヤーを同じにしてはならない。

決して相容れない感情だということを頭で理解する必要があるのだ。

相容れないという前提を理解して、ようやく保てるバランスがある。

歴史ひとつにしても、どうしようも無い時代背景は存在する。そのことを曖昧にすることも手段のひとつだが、それではまたいつか問題がぶり返すだろう。

「決して相容れない」

そう思うことで、解毒できることだってある。ワクチンと似てる?

相容れないものを認められたら、拒否することから離れるだろう。

そこから先は、自らがどんなアーティストでいたいのか?
そこに尽きるのかもしれない。

ここからは自分の話とか

ちなみに僕はアーティストとしてのSNSをやめた。

今は個人のFaceBookでリアルに繋がりのある人とだけ交流ができればいいと思っている。

 あと、ファンクラブの皆には、よくお知らせをするようになった。親しみを持って特別なコンテンツも提供していこうと思っている。

オフィシャルHPの更新をマメにしたり、noteには思想を綴っている。週に一度のメルマガも相変わらず。

Twitterに関しては、自分のレーベルのアカウントが瀕死の状態で残っているので、そこからのお知らせはしようと思っている。

宣伝が苦手はアーティストの証

僕は音楽事務所とプロデューサーにデビューさせてもらった。
誰かに認めてもらってお金出してもらうことが「アーティスト免罪符」のような気がしていたけれど、時代は変わったな〜としみじみ思う。

しかし今回の考察で「宣伝が苦手は、アーティストの証」だっていうことが腑に落ちた。

アーティストは、宣伝が苦手で良いのだ。







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