「密林の聖者」シュバイツァーはどう評価されてきたか④-シュバイツァーへの評価について(宗教学者らによる肯定的評価 後編)-
シュバイツァーについてどのような評価があったのかに対する考察です。今回も、前回、前々回に引き続き、シュバイツァーの植民地観、人種観を擁護するキリスト教関係者、宗教学者に対する批判的考察について、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
後篇の今回は、笠井惠二以外の宗教学者によるシュバイツァーの植民地主義、人種主義の擁護論に対する考察になります。(1回目、2回目、3回目)
(シュバイツァー自体の植民地主義、人種主義の主張に関する記事はこちら 「密林の聖者」とはどの視点によるものか 1回目
「密林の聖者」とはどの視点によるものか 2回目
「密林の聖者」とはどの視点によるものか 3回目)
その他の肯定的論者のシュバイツァー観
シュバイツァーの植民地観、人種観を擁護する意見としては笠井惠二のほかに金子昭の「シュヴァイツァーのアフリカ伝道医療再考」(※1)、岩井謙太郎「シュバイツァーにおける文化と植民地の問題について」(※2)がある。
金子の擁護論だが、植民地独立による民族対立を懸念するという理由から民族自決に否定的なシュバイツァーについて以下のような見解を示す。
しかし、これは「文明」国を自称する国の人物の傲慢さの表れでしかない。「よそ者」に対する消極的な傾向はランバレネなどに限った問題ではない。ナショナリズムを扇動することによる国家間、民族同士の対立はヨーロッパで行われてきたことであり、シュバイツァー自身が認めていることでもある(※3)。ナショナリズムを扇動することが外国人嫌悪の形になることは、日本社会における中国、韓国を中心とした近隣諸国及びその人びとへの蔑視、嫌悪が露呈している現状からすれば容易に認識できる。
また、第1次世界大戦中において帝国主義諸国が争う状況において、現地のパウアン人の古老からなぜ紛争解決に取り組まないのかと指摘を受けた(※4)ことがシュバイツァーの手によって書かれている状況からすると、兄弟愛・隣人愛という言葉を帝国主義諸国の側に近い人物が主張しても、現地の人々に対して説得力があるとは思えない。シュバイツァーの人道主義、生命の畏敬という思想の背景にある、キリスト教伝道師的スタンスがダブルスタンダードであることに、シュバイツァーが無自覚であることを金子は理解できていないか、理解できていてもそれらを軽視していると言わざるを得ない。
岩井については、シュバイツァーは植民地主義者であり、現在的視座から批判されるのはやむを得ないとしつつ、シュバイツァーは植民地を前提としつつも改良主義者として植民地の問題点の改善を考えており、時代的制約を超える視座を持っていたという論法で評価をしている。だが、岩井が強調するシュバイツァーの改良主義には、前回の記事でも述べたように、現地の人々の自決はもちろん、自治、主体性の意義である政治結社の自由や自治政府、自治議会の確立といった最低限度の政治に関わる権利(※5)について認める姿勢がない。加えて、岩井の文章には自治権についてのシュバイツァーの見解はない。
また、岩井は、シュバイツァーが現地の人々に対する強制労働について緊急時かつ相当の対価を払うことに限定している(※6)、として次のように述べる。
だが、フランス植民地領赤道ギニアでは、1921年から1932年にかけて行われたコンゴ-オセアン鉄道において現地の人々12万人が強制労働に駆り出された結果、2万人が死亡している。(※7)佐藤誠は、シュバイツァーの「水と原生林のはざまで」で述べた植民地経営における強制労働の必要性とは、以上の状況を背景としたものであるとしている。(※8)ここからすると、植民地支配下における現地の人々に対する強制労働の実体について、シュバイツァーの認識が甘いと言わざるを得ない。
以上からすれば、シュバイツァーは当時の植民地主義の問題点を超える発想はなかったとするのが妥当なところであろう。(※9)
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いかがだったでしょうか。次回は、シュバイツァーの植民地観、人種主義観への否定的評価についてJ・マクナイト「シュヴァイツァーを告発する」より、考察して参ります。
私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。
脚注
(※1) 金子昭「シュヴァイツァーのアフリカ伝道医療再考」「宗教と倫理」 第10号
(※2) 岩井謙太郎「シュヴァイツァーにおける文化と植民地の問題について」キリスト教と近代社会(2010年度研究報告論集)
(※3) シュバイツァーのノーベル平和賞受賞講演「現代における平和の問題」(「シュバイツァー選集6」(白水社)P131~P149 収録)
第4回 脚注(※8)に当該講演に関する見解あり
(※4) アルベルト・シュバイツァー「水と原生林のはざまで」 P147 岩波書店
(※5) インド国民会議派の当初の設立理念、植民地台湾における台湾議会設置運動といった植民地における現地の人々による自治権獲得のための結社、運動が該当する。こういった視点に対して、シュバイツァーが理解を示した様子は岩井の引用文からは確認できない。
シュバイツァーには現地の一般民衆のみならず、部族内の有力者、インテリ層、中間層に対する不信感があったこと、(「わが生活と思想より」P223、「水と原生林のはざまで」P122など)植民地支配による「秩序」に対して肯定的姿勢であったことなどを考慮すると、シュバイツァーに現地の人々による自治権を認める姿勢はないか、あっても日常の雑務程度の範囲でのみ認めるというスタンスであったと筆者は考える。
(※6) (※2) P59
(※7) 佐藤誠「アフリカ認識とオリエンタリズムーシュバイツァーを見る眼差し-」 P19「アジ研ワールド・トレンド No.64」(2001.1)
(※8) 佐藤「前掲」P19 なお、佐藤の引用タイトルには「水と原生林のあいだに」とあるが同じ本で訳が微妙に異なるだけで内容は同じである。
(※9) このほかには、作家の木村武一が、キリスト教関係者、宗教学者以外では作家の木原武一が、シュバイツァーのヨーロッパを兄、アフリカを弟とするのは蔑視に相当するとするのは問題であり、当時としては事実をありのままに表現したものに過ぎないとの見解を示している。(木原武一「大人のための偉人伝」 「シュワイツァー」 P13)
木原の主張は時代的制約があるのだから、シュバイツァーの植民地主義、人種主義を批判するべきではないとのスタンスと言える。だが、シュバイツァーの差別、植民地主義の問題を時代的制約であったことは、植民地主義の問題を追認するべきという結論に至るものではない。当時の植民地主義の問題点の問題と原因を社会科学的観点から考察し、どのようにして現在の教訓とするべきかという点が当然問われるべきであろう。
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