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「密林の聖者」シュバイツァーはどう評価されてきたか②-宗教学者らによる肯定的評価(前編)-

 シュバイツァーについてどのような評価があったのかに対する考察です。前回はシュバイツァーの下で働いていた医師の評価について考察して参りました。
 今回からは前編、中編、後編に渡って、それらを無批判に受け入れてシュバイツァーを肯定的に評価するキリスト教関係者、宗教学者に対する批判的考察について皆さんと一緒に考えていきたいと思います。前編の今回は、笠井惠二氏のジェラルド・マクナイト「シュバイツァーを告発する」への反論に対する考察になります。(1回目

(シュバイツァー自体の植民地主義、人種主義の主張に関する記事はこちら 「密林の聖者」とはどの視点によるものか 1回目
「密林の聖者」とはどの視点によるものか 2回目
「密林の聖者」とはどの視点によるものか 3回目


笠井惠二のシュバイツァー観

 前回の記事の最後で、シュバイツァーを評価するキリスト教関係者や宗教学者は、シュバイツァーおよびシュバイツァーの下で働いていた医師のアフリカ観、植民地観の問題を軽視する傾向があることについて触れた。その代表格というべき人物は神学者の笠井惠二であろう。笠井が著した「シュバイツァーその生涯と思想」は主にシュバイツァーの神学観を記した神学的視点からシュバイツァーを評価する本である。ただ、同時にシュバイツァーの人種観、植民地観の擁護についても、ジェラルド・マクナイトの著書「シュヴァイツァーを告発する」、前回も触れたエンダバニンギ・シトレの著書「アフリカの心」におけるシュバイツァーへの言及に対する反論の形でも記されている。これらのシュバイツァーの人種観、植民地観を擁護する部分についてそれぞれ批判的に考察して参りたい。

ジェラルド・マクナイトのシュバイツァー観への反論

 笠井は、西欧式のスケジュール管理に基づく治療方法に現地の人々が理解を示さないことを理由に、シュバイツァーが現地の人々を「下等な人間」としか見ていない、とのマクナイトの見解について、次のように反論する。

 目の前におしよせてきている病人の治療をさしおいて原住民の教育(筆者注:西欧式のスケジュールに従った治療方法への理解を求める活動)にその時間とエネルギーを注がなかったことが、彼らを「下等な人間」と見なしたという論理にはいささか飛躍を感じる。「下等な人間」と見なしていたのだとすれば、生涯をかけてそこに住みつき、事業を最後までやり通すことなどできるはずはなかったのである。

笠井惠二 「シュヴァイツァーその生涯と思想」 P398 神教出版社

この文章からは、笠井がシュバイツァーは植民者、被植民者を対等の関係とみなしていた、と強調したいことが伺える。笠井は「下等な人間」と表現したことに引っかかったのかもしれない。

 だが、前回の記事でも触れたが、シュバイツァーの現地の人への対応が厳しいとの声に対し、自分たち植民者の側は大きい兄、現地の人々は小さな弟であるとして正当化した。以上の姿勢からすれば、シュバイツァーは植民者と現地の人々を対等な関係ではなく、上下関係で考えていたとするのが自然である。また、次々回で詳細に触れるが、マクナイトの「シュバイツァーを告発する」の中には、笠井が反論する際に引用をした箇所以外にも、シュバイツァーの現地の人々に対する姿勢が上下関係を前提にしたものであると考えるのが妥当であると思われる箇所が複数に渡って言及されている。

 また、シュバイツァーの医療施設が近代的な設備を採り入れていないとのマクナイトの指摘に、笠井はランバレネには設備を使いこなすだけの体制が十分に整っておらず、スタッフも新しい設備を使いこなすまでの準備、時間を整えることの負担を回避したかったからであると主張する。(※1)現地の人々が旧来の伝統的なやり方を望まず、西欧式のやり方、生活様式に親しんでいるのにシュバイツァーが非衛生的な病院を維持し、近代的な手法を採用しないことについても次のように反論する。

 このような指摘もそれほど当をえたものではない。かえってこのマクナイトの言葉の方に、西欧人は文明的でそのやり方はすべて正しく、アフリカの人々はおくれているのだから、すべてを西欧式にあらためるべきだ、との白人優位のおごりが感じられる。もしシュヴァイツァーが黒人たちを「動物のような人種」とみなしたのなら、すべてを捨ててアフリカに骨を埋めるわけがないではないか。むしろシュヴァイツァーは各民族の伝統や個性を重んじたからこそ、一見門外漢からすると不衛生、不便とも見える「アフリカ人のための病院」をつくり、その古めかしいやり方にこだわり続けたのだ。

笠井 「前掲」 P401 神教出版社

では、実際のガボンにおける医療状況やガボンの人々の西欧の技術へのスタンスはどういったものだったのだろうか。

 マクナイトは、ガボンの民族主義に同調するフランス語雑誌「ジュヌ・アフリーク」の1962年9月号に掲載されたジェーン・ルーシュの「ランバレネのスキャンダル」を引用し、ガボンの人々が西欧的な医療を拒んでいるわけではないとしている。引用文は、ガボンの医療・衛生はアフリカで最先端の部類であり、人口44万5000人に対し、4つの病院、30の治療センター、22の放射線診療班、9つの移動消毒・衛生班、2つの産科診療所があり、計画的な予防注射を実施した結果黄熱病、天然痘がほぼ克服しつつある状況とあった。(※2)

 また、朝日新聞アフリカ特派員などを務めた伊藤正孝は、ガボン大統領であったオマール・ボンゴ・オンディンバがフランス国営テレビの取材に対し、シュバイツァーの病院は豚小屋同然であったと語ったこと、ガボン政府が新たに20数棟の近代的病院を建設する計画があったと自著「アフリカ33景」で述べている。(※3)加えて、シュバイツァーの病院自体がシュバイツァーの死後は、手術室のみにあった電灯が病院全部につけられ、水道が敷設されたほか、トイレの水洗化を行うなどして衛生設備が改善された。(※4)以上の点からすると、笠井の主張とは異なり、ガボンの人々は近代的な医療施設、設備、技術の導入を積極的に採り入れることに否定的ではなかったことがわかる。

 笠井の主張する現地の人々の伝統、個性を重んじるという意味が具体的にどういうことかは、笠井の引用箇所からはわからない。ただ、ガボンの人々を私たち日本人に置き換えて考えてほしい。日本は西欧と異なりキリスト教国ではなく独自の迷信や信仰があるため、それらを「尊重」する必要があるから、近代的な西欧式の医療や生活様式は不要であり、西欧における近代的な文明の利器を提供せず、明治維新の文明開化以前に行われていたやり方を前提とした医療活動、慈善事業に留めるべきいう主張や理念を私たちは受け入れることができるだろうか。ほとんどの人は私も含め受け入れることはできないだろう。ガボンの人々も同じ考え方を持っていたからこそ、シュバイツァーのやり方に同意せず、最新式の医療設備、施設を整えたと考えるほうが自然ではないだろうか。(※5)

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 いかがだったでしょうか。次回中編では、笠井氏のエンダバニンギ・シトレのシュバイツァー観への反論への考察となります。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

脚注

(※1) 笠井惠二 「シュヴァイツァーその生涯と思想」 P399~P400 神教出版社

(※2) ジェラルド・マクナイト「シュヴァイツァーを告発する」 P37 すずさわ書店

(※3) 伊藤正孝「アフリカ33景」 「シュバイツァーの二重像」 P44 朝日新聞社

(※4) 佐伯真光「南無シュワイツァー大明神」 「アメリカ式人の死にかた
」 P116

(※5) シュバイツァーは、マクナイトがシュバイツァーの病院でも近代的な治療法を用いるべきではとの質問に対し、「単純な人びとには、単純な治療が必要だと信じている」と回答をしている。(J・マクナイト「シュバイツァーを告発する」 P63)
 私は、この回答にあるガボンの人々を「単純な人びと」とみなしたことに、病院の近代的設備の設置、改修を拒んでいる一因となっている可能性があると考えるが、笠井のマクナイトへの反論には当該箇所に関する言及はない。

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