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「密林の聖者」シュバイツァーはどう評価されてきたか③-宗教学者らによる肯定的評価(中編)-

 シュバイツァーについてどのような評価があったのかに対する考察です。今回は、前回に引き続き、シュバイツァーの植民地観、人種観を擁護するキリスト教関係者、宗教学者に対する批判的考察について、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
 前回は、笠井惠二氏のジェラルド・マクナイトへの反論を考察しました。中編の今回は、笠井惠二のエンダバニンギ・シトレ「アフリカの心」への反論に対する考察になります。(1回目2回目

(シュバイツァー自体の植民地主義、人種主義の主張に関する記事はこちら 「密林の聖者」とはどの視点によるものか 1回目
「密林の聖者」とはどの視点によるものか 2回目
「密林の聖者」とはどの視点によるものか 3回目


笠井惠二のシュバイツァー観

エンダバニンギ・シトレのシュバイツァー観への反論

 エンダバニンギ・シトレの「アフリカの心」(原題:African Nationalism)については、前々回の記事「高橋功による評価」で触れたが、ここでは笠井の反論について述べたい。笠井は、シトレの、①シュバイツァーはアフリカの社会は組織化されておらず、安定していないためにアフリカの人々に人間の権利はないと考えている、②白人を兄とし、黒人を弟とする見解への批判について、それぞれ次のように反論する。

 (筆者注:① シュバイツァーはアフリカの人々には人間の権利はないとみなしているとするシトレの見解に対して)シュヴァイツァーは決してアフリカ人の独立に対して反対の意見を述べたことはないし、反対の思想をもったこともない。彼はアフリカの社会問題について論争を展開するよりも、現実に目の前にいる病人たちを救おうとしただけである。シトレの批判は論理の飛躍と思いすごしにもとづくものである。シュヴァイツァーは、すべての「アフリカ人社会がいつも無秩序状態にある」とは考えていないし、「アフリカの人権は縮小されねばならない」などとは決して言っていない。むしろアフリカ人の人権を尊重するからこそ、先ず苦しんでいる病人を助けようとしたのではなかったか。

笠井惠二 「シュヴァイツアーその生涯と思想」 P403~P404 神教出版社

 (筆者注② シュバイツァーの白人を兄、黒人を弟とする見解に関するシトレの批判に対して)シュヴァイツァーはランバレネの原始林に住み迷信と呪術に苦しんでいる人々に対してこう言ったのであって、高等教育を受けた文明人であるアフリカの指導者たちに対して、「自分は兄である」などとごうまんに語ったのではない。(略)
自分が兄であるというのは、私に服従せよという意味では決してなく、むしろ自分たちはひとつの家族に属するものなのだという親しみの心から発せられた言葉だったはずである。

笠井 「前掲」 P404~P405 神教出版社

これらの笠井の主張はシュバイツァーの人種観、植民地観を正確に理解したものと言えるだろうか。それぞれ検証したい。

 ①のシュバイツァーはアフリカの人々には人間の権利はないと考えているとのシトレの批判に対し、笠井はシュバイツァーはアフリカ諸国の独立に反対したことはなく、また病人への治療は人権尊重の表れであると反論をしている。だが、「わが生活と思想より」の以下の引用箇所からは、シュバイツァーが、アフリカは西欧諸国による植民地支配が望ましい、と考えているとしか読み取ることができない。「密林の聖者」とはどの視点によるものか③-日本人のシュバイツァー観への疑問-(以下「密林の聖者」③)でも引用をしたが、改めてここに文章を追加して再掲する。

 われらヨーロッパ人の委託を受け、われらの名において植民地を統治経営した者で、未開人の酋長にもおとらぬ不正、暴力、残忍を行って、われら白人に大きな罪を塗った者の数すくなからぬのは、あまりにも明らかな事実である。今日なお土人に加えられたる罪業についても、沈黙したり容赦すべきではない。しかし、植民地の未開人や半未開人に独立を与えんとするのは、かならずかれらのあいだでの奴隷化が始まる端緒であるから策の得た罪滅ぼしとはならない。唯一の方策は、われらが現に与えられている支配権を土人の幸福のために活用して、この支配権を道徳的に裏書きされたものとする、にある。いわゆる「帝国主義」ですらが、なんらかの倫理的な功績もあった、と弁疏し得るのである。すなわち、「帝国主義」によって奴隷売買は禁止され、絶えまなき内乱はやみ、かくして世界の少なからぬ部分に平和がもたらされたのである。(略)
今日においてもなお、ネグロ共和国のリベリアでは家内奴隷が存在し、さらに悪いことには、船による外国への労働者の強制輸出が行われているのである。

アルバイト・シュバイツァー 「わが生活と思想より」 P223 白水社

黒人の奴隷貿易については、奴隷制廃止以前において、ヨーロッパ、アメリカ側が地元の有力者と組んで積極的行っていた点では共犯関係であるが、シュバイツァーの引用文からはそのことへの言及がない。また、人権については、笠井が言及した生存権、社会権である治療を受ける権利以外にも、民族自決権、抵抗権、参政権、自由権といった政治及び人間個々人の自由を求める権利があることに笠井は触れていない。植民地支配下では現地の人々が民族自決権、抵抗権はもちろん自治の範囲である参政権や政治批判も含めた自分の意志表示をする自由権ですら十分に行使できる状況にはなかったことは、高校の政治・経済や日本史・世界史の知識があれば十分に理解できるはずである。社会権さえあれば他の権利が疎かであっていいということにはならないだろう。

 ②の白人は兄、黒人は弟というのはガボンのインテリに向けたものではないという理屈も、インテリでなければ下に扱っていいのかという問題がある。そもそも私たち日本人も明治初期の段階では電柱に手紙を括りつけて手紙を送ろうとしたり、郵便箱の便を便所と勘違いしたといった事例があった。これらの行為は「文明」人からすれば「未開」で「野蛮」な行動であっただろうが、そのことを笠井はどう考えるのだろうか。

 また、シュバイツァーはガボンのインテリ層や教育を受けている層についても必ずしも肯定的な態度を示しているわけではない。「密林の聖者」③で触れた「水と原生林のはざまで」の引用箇所には植民地の行政官、植民地国の代理店の従業員として働くガボンの中産階級について否定的な態度であることが触れられているが、シュバイツァーの「ランバレネ通信」にも以下のような文章がある。

 われわれ(筆者注:植民者)は黒人の間で、黒人の迷信に反対の意見をのべているが、そのわれわれがいまどんな顔をしてかれらの前に立てるであろう。「白人にも魔術師がいる」とわたしにある土人が言った。「なぜ、あなたと伝導団とはそのことをわれわれに隠したのか?」と。
 ヨーロッパ人の迷信が植民地へ堂々とはいってくることは、影響するところ少なくない。われわれの精神的権威は大戦によって土台を動かされ不利となったが、ヨーロッパ人の迷信が植民地へはいることによってまた新たな恐ろしい衝撃をうける。理解ある土人は、白人の間にいまも迷信があることに、憤慨している。しかし異教の迷信は、海をこえて応援してくる予測しない仲間をえて、勝ちほこっているありさまである。

アルベルト・シュバイツァー著 野村實訳 シュバイツァー選集3 P200 白水社

引用したシュバイツァーの文章からは、ヨーロッパにも迷信があることをガボンをはじめとしたアフリカ諸国の人々が知ることで、植民者たるヨーロッパの「精神的権威」が脅かされるのではと危惧していることをうかがい知ることができる。兄、弟との表現は親しみの表現であるとする笠井の主張も、「密林の聖者」シュバイツァーはどう評価されてきたか①-シュバイツァー病院で働いた医師による評価-の記事にあるように、現地の人への労働において、監視をし酷使することを問題視したスタッフに自分たちは兄、彼らは弟とたとえて正当化したことからも妥当性に欠けると言えるだろう。

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 いかがだったでしょうか。次回は、笠井惠二氏以外の宗教学者らによるうシュバイツァーの植民地主義、人種主義への擁護について、考察して参ります。

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