見出し画像

「土」の言霊 山形洋一著 【書評】 

 著者は感染症等の専門家として国際協力に携わる傍らで長塚節の研究を続けている碩学である。

 この書物は長塚の長編小説「土」におけるオノマトペ(擬声語・擬態語)の語彙分析を通じその用例、音韻等の事例を詳細に紹介する。その分析を通じて、長塚とその作品の文学史における位置づけが読者の心象に形成されてゆく。

 わたしはこの著者の実証的プロセスが、『土』における農村の描写と方法的に通底すると感じている。読者と生活的に重なりのほとんどない関東の農村、そこに暮らす人物たちを読者の心象に生きた人間として浮かび上がらせるために、あえて詳細な環境の描写を細密画のように積み重ねる方法である。オノマトペは文字による細密画の中でのアクセントとしての、長塚の肉声による注意喚起ではないだろうか。その肉声は読者に著者の世界をいわば読者にとっての新世界となるように伝えたいという切なる願望の表出であろう。

 著者は長塚のこの願望の表出を「言霊」というタイトルの文字に端的に示している。そしてオノマトペの表出がそれを構成するカナの音韻に纏綿する意味合いの組み合わせに関わる可能性を示唆している。これは記号の恣意性という西欧での通説に対する問いかけをもはらむ論点であり、言葉を発する際の願望の表出と言葉との関係について再考のきっかけになるものと受け止めた。

 この書物を繙いて長塚の詩藻にいわば生息していたオノマトペたちを著者の実証的なガイダンスに従って鑑賞することの楽しみをたくさんの読者に味わってほしいと思う。

 そしてわたしはこの労作にオノマトペをもって答えて、感想を締めくくりたい。
「こつこつ」「悠々」。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?