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兎がほざく

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ショート•エッセイ、140字以内。毎日投稿、どこまで続く?
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2023年7月の記事一覧

兎がほざく849

兎がほざく849

今日一日楽しければいい。

子どもの頃そんな考えではいけないと言われました。

でもアリが必ず幸せになるとも、キリギリスが必ずその反対になるとも限らないです。

楽しませてもらうのでなく、他人が楽しそうにすることをまねるのではなく、楽しいことをするのがいいのです。

兎がほざく848

兎がほざく848

言葉は肉声が織り出す綾のようなものです。

さてその綾は現実の物事を創り出すのでしょうか?

いえ、物事は言ったり思ったりした通りにならないです。

綾が織り出されるのは自分の要求の手段としてなのです。

お腹がすいたら「ごはん!」と言って誰かに求めるように。

兎がほざく847

兎がほざく847

誰にとっても他者とはまず自分が何らかを求める相手として現れます。

少なくとも応答を求めます。

もしも他者へ求めないならば、他者を生きたものとして実感できないとぼくは想像します。

愛も共感も順番としてまずは求めることに始まるのだと思います。

兎がほざく846

兎がほざく846

ほざくというわりにほざかない「兎がほざく」ですが、書いているうちに文体もそれなりにできました。

でも敬体は読みにくいこともあるでしょう。

一秒で読んでわかることをもっと意識してみます。

盛り込みすぎも要約しすぎも丁寧すぎも、伝わらないですよね。

兎がほざく845

兎がほざく845

持ち物は増やすだけでなく減らすのも気分が変わっていいです。

どちらも自分の意志がかなうことに変わりありません。

それが物のあるなし自体よりも時には大事なのです。

捨てるとそれだけでなにかやり遂げたような爽快感があります。

兎がほざく844

兎がほざく844

肉声を聞く。

それはその人のことを知るのに見た目を経由するよりも速いことがあります。

肉声は化粧できないのです。

それもできれば録音でなく直接に。

ライブで、さらに対面の席で。

SNSの世の中で物足りなくなるとすれば、その一つは直接の肉声だと思います。

兎がほざく843

兎がほざく843

過去の哲人たちにつぎのようなアンケートをしたいです。

つぎの あ、い のどちらですか?

第一問
あ,有は言葉に先立つ
い,言葉は有に先立つ

第二問 
あ,主体は世界以上たりうる
い,主体は世界未満

ぼくは「い、あ」の人に憧れますが、自分自身は「あ、い」の気がします。

兎がほざく842

兎がほざく842

世界の見方が結局は一つに収まるという前提ならば、それに対する人の姿勢に違いがあるだけとなります。

外向的な人、内向的な人。
その姿勢の違いで世界は変わりません。

世界の見方が複数あるという前提ならば人により世界が異なるといえます。

ぼくは単数の専制が怖いです。

兎がほざく841

兎がほざく841

人間は誰しも生き方について何らかのストーリーを信じて生きています。

アリとキリギリスのような寓話とか、サクセスストーリーとか、ふるさとの神話とか、スポ根ドラマとか、さまざまです。

人間が多様なようにストーリーも多様です。

唯一正しいストーリーはないのです。

兎がほざく840

兎がほざく840

自分は多少でも人間の到れる限りの高みに近付こうと山道を長年登ってきたつもりでした。

でもある時から自分の心を眺めてその動きを見守るようになりました。

そして自分の身体で現実に屋外を歩くことが日課になりました。

ものを書くようになったのは思えばその頃からです。

兎がほざく839

兎がほざく839

夢を見て無意識からのメッセージを受け取ることはできます。

でも逆に無意識にメッセージを送って自分を変化させることはたぶんできないのです。

できるとしても危険で成功の保証はないと思います。

現実が思い通りにならないのに無意識が思い通りになるはずはないのです。

兎がほざく838

兎がほざく838

俳優が登場人物を演じると登場人物が実在するかのように思えてきます。

それは創り出された人物に俳優が自分という人間を貸すからです。

創り出された人物が俳優に乗り移るのではないと思います。

ここの違いが大事で、生きているのは「向こう」でなく「こちら」なのです。

兎がほざく837

兎がほざく837

自分のこの世での役割。

息子でも夫でも父でもない。
会社員でも同窓生でも同郷人でもない。
どうもそうらしいのです。

役割はぼくの一方的な思い込みの空回りだったのです。

でもわかってよかったです。

ずいぶんと回り道しましたが、やっとラクになりました。

兎がほざく836

兎がほざく836

花になったつもりで、たとえばデイゴの花になったつもりで、静かに座ってみます。

自分は花には変身できないけれどもしばらくは平和な気持ちになれます。

人間ができるのは変身のつもりまでで、変身はできないのです。

花と自分との埋まらない差にこそ人間の真実があるのです。