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兎がほざく

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ショート•エッセイ、140字以内。毎日投稿、どこまで続く?
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2022年9月の記事一覧

兎がほざく🐇550

兎がほざく🐇550

偶然を大事にしています。

ぼくはこの世はみんなとの共通の意識の世界という気がします。

無意識でないからみんなの目や耳の五感に触れるのです。

意識は個々バラバラのようでも、この世の共通の意識の世界がそこにかぶさっています。

偶然は共通意識の起こす表現です。

兎がほざく🐇549

兎がほざく🐇549

心の傷を描きながらも美しい作品があります。

それは見る人に喜びをもたらすものではなくても心を動かします。

秘密は偽りのなさにあると思います。

むろん受けを狙って観客の心の鍵穴に合いそうなものを見せてもよいのです。

でも偽りのなさはオールマイティの鍵なのです。

兎がほざく🐇548

兎がほざく🐇548

ドグラ・マグラを読んで気付いたのは、先天的世界がパラダイスというのは幻想で現実は真逆だったということです。

ラカンはそこに混乱があったかもしれない。
人の因果の最初の無明とはこの幻想に自分から進んでダマサれることかもしれない。

読了の翌日ジワジワ効いてきました。

兎がほざく🐇547

兎がほざく🐇547

夢野久作のドグラ・マグラを読了しました。

科学批判は同感ですが、人の運命を決めるのは太古以来の遺伝というのがどうも引っ掛かっています。

決めるのは受け継いで身についた言葉だとぼくは思います。

作者の静物としての肉体へのこだわりと遺伝論とは表裏なのでしょう。

兎がほざく🐇546

兎がほざく🐇546

敬体で投稿するのは投稿が読者の状況に関わらず自動で画面に出ることを意識しているからです。

意図せず目にされた読者に不躾にならないように。

その代わりいつも正座しているみたいな打ち解けない人に見えるでしょうか?

でもなるべく話し言葉に近づける工夫をしています。

兎がほざく🐇545

兎がほざく🐇545

たとえばガスタンクの美しさ。

懐かしく安心するタイプの美しさではなくて、人間の必要だけがあっけらかんと力強くある美しさです。

人間の必要を隠した風景にはかえって健全でないものを感じます。

新参者を拒み景観を保つ街も美しいけれど、自分は向いてないです。

兎がほざく🐇544

兎がほざく🐇544

文芸作品は言葉のクラウドから掬ってきたもので、自分のものでも誰のものでもなく言葉のものです。

だから文を選ぶとは人を選ぶこと、というのはぼくは違う気がします。

文を選ぶとは文を選ぶこと、それ以上でも以下でもない。

人を選ぶ参考に文を使うのならばわかります。

兎がほざく🐇543

兎がほざく🐇543

散歩の時、偶然によって道筋を変えるのは面白いです。

交差点で信号が先に青になった方に曲がるとか。

道の日の当たる方の側に渡るとか。
夏は逆に日陰に渡ります。

気になる建物に立ち寄るとか。

結局行き着くところのバリエーションは少ないけれど、プロセスの違いを楽しんで。

兎がほざく🐇541

兎がほざく🐇541

インドはぼくのように体の弱い者は行った途端に疫病に倒れるでしょう。

行く手段もないのに要らぬ心配をしています。

生命力の強い人が生き残る厳しい天地がインド文化を生みました。

その背景あっての仏教でありヒンドゥー教なのでしょう。

でも一度象に乗ってみたいな。

兎がほざく🐇540

兎がほざく🐇540

昨日久しぶりにインド音楽を動画で聞きました。

南インドのヴィーナの独奏でした。

音の波に浮かぶ感じでリラックスできました。

北インドのシタールも華やかで、次の機会はそれを聞こうと思います。

家の都合で動画視聴は自由でないのですがそれを楽しみにがんばります。

兎がほざく🐇539

兎がほざく🐇539

笑うこと。

一日に一度も笑わない日が続いていました。

これはいかんと思ってとりあえず、はっはっと笑う真似をしてみました。

何も構えずに安心している時にしっかり笑えるように。

他人に見られないようこっそり練習です。

理由なく笑う人は不気味です。

ふっふっふっ。

兎がほざく🐇538

兎がほざく🐇538

自分で手を動かして暮らしをちょっと変えてみます。

髪の分け目を変えるとか、枕の位置を変えるとか、部屋の模様替えをするとか。

疲れたなと思ったらやってみます。

少なくとも手を動かしている間は気がまぎれます。

変え終わると、これでよし、と自分をねぎらいます。

兎がほざく🐇537

兎がほざく🐇537

書いた言葉はぼくより長くこの世に残るかもしれません。

たとえデジタルのクラウドの片隅で人に読まれないで埋もれても。

だから一語一語ゆるがせにできないのです。

それが自分の最後の言葉になってもいいように。

どなたがそれを真に受けても恥ずかしくないように。

兎がほざく🐇536

兎がほざく🐇536

自分は絶対と信じて自分の思索を続ける人と、理想は自分の外にあると思って探求を続ける人。

人間にはこの二つのタイプが同時に備わっているのでしょう。

時にどちらかが優勢ということはあります。

二つのタイプはケンカしないで共存できるものでしょうか?