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高校時代、私がうつ病になった話(後編)



高校に行くのがどんどん嫌になってきた。

高校時代、地元のヤンキーにからまれたり、
高校生とは思えない授業態度に驚いたり、
ギャルやら東京の人達に出会って、
私はとにかくカルチャーショックを受けた。

ついで、なんかボコるぞだの
お前の家の周りをバイクで走りまわってやるだの、
友達に言えばお前ボコんのなんて簡単だの、
色々言われました。
嫌でした。
授業中ずっと後ろの席から椅子を蹴られていて
無視していたらそれはそれで無視するとボコるぞとも言われて、
嫌でした。

統合失調症闘病中3

高校へは、電車で約2時間半ほどかけて通っていたと思う。
歩く時間も含めると、往復の時間だけで4、5時間は必要だった。
ちょっとし日帰りの小旅行、くらいの距離を移動していた。

行きの2時間の電車。
学校に近づくにつれてお腹が痛くなったり、
シンプルに行きたくない気持ちも強かったので、
学校に行く途中から引き返してしまうことはありすぎた。

家族には「無理に行かないで学校をやめてもいい」と言われていた。

でも、私は途中で学校をやめてしまうと、
辛いけど学校に通っていたそれまでの日々を完全に無駄にしてしまう気がしていた。

「この数カ月を無駄にしたくない」

そんな感じで、
ここまで頑張ったのに辞めてしまうのは勿体ない、と思っていた。

私はその時視野が狭くなっていたのだろう。
今なら余裕でそんな学校通うのは辞めている。
1年間、2年間苦しみながら過ごすより、
数カ月で苦しい日々から脱することができるなら、
今の私なら頑張り切れず学校をやめている。

今では、なんでそんなに頑張れたのだろうか。
変な意地でもあったのだろうかと不思議に思う。


重度のうつ病と診断された

統合失調症闘病中4

真面目に頑張った結果、
うつ病になった。

毎日泣いていた。
本当に、深夜三時くらいまで泣いていた。
毎晩2、3時間泣いていた。

そして学校は遠いため、
朝5時前には起きていた。

安眠なんてできなかった。
しんどかったなあ。
と思う。

あと、今思えば、今振り返って思うのは
見守ってくれた家族もしんどかっただろうなあ。
と、思う。

毎日ぶわっと涙が出て止まらないのも、
苦しいのも、
全部「うつ病」というものの辛さなのだと、
名前が付いたので、
「なんとなく苦しいもの」が「うつ病の苦しみ」
と自分の中で確定された。
そう診断されたことで、その当時の私は少しホッとしていた。

苦しくても「そりゃそうだ、うつ病なのだから」と、
そう思うようになった。

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