見出し画像

私、というヒト。〜introduction〜

はじめまして、uta(ウタ)です。
今こうして筆を執るまでに、とても長い年月がかかってしまったように思います。
ようやく1歩目を踏み出せた自分を、少し褒めてあげたい、そんな夏、雨模様。

noteは私の頭の中のたくさんの考えを、想いを、言語化するための「庭」にしていこうと思います。

初めから誰かのためになることなんて、きっとない。
でももしかしたらこの先、誰かのためになるかもしれない。

まだ芝生さえも敷いていないこの庭に、四季折々の花を咲かせていけますように。
そしてその花々を愛でることで、誰かの心に、人生に、彩りを添えることができますように。

今日は、ずっと足踏みをして進むことができなかった「私」についてお話したいと思います。

______

初めて「女」であることに生きにくさを感じたのは、高校生の頃でした。
中学生までは"恋"は知っていても男女の違いなんて考えたこともなく、ただただ「人」として、自分と同じ世界線に存在しているモノが「男子」と「女子」でした。

私は幼い頃から割と人前に立つことが多く目立つ方だったと思います。
小学生の頃は運動会の応援団長を務め、中学の陸上部では今思い返してもよくあんなに頑張ってたな、って思うくらい毎日走って走って走って、全国でも強豪揃いの県で入賞するレベルにはなっていました。
合唱コンクールでは伴奏者として3年間クラスをリードし、勉強の成績もそこそこで第一志望の高校に推薦入試で合格…男女分け隔てなく友人にも恵まれ、その縁は30代半ばの今も続いています。

あの頃までは、男女隔てなく活躍できたし、スポーツや勉強で男子と張り合ってもなんでも対等な戦いができた。それが私にとっては無性に楽しかったし、嬉しかったことを覚えています。

私が進学した高校は、国際教養科をもつ特色のある学校で、私自身も国際教養科で学びました。普通科4クラス、教養科4クラスで1学年が構成されていて、女子の割合は7〜8割。実際、私のクラスは40名の内男子は7名…ほぼ女子校。笑

入試で均されているから勉強面ではみんなトントン。TOPにならずとも、クラス上位をキープしていれば私としては満足でした。でもスポーツはそうもいきません。中学時代は同性にたくさんの良きライバルがいて、競うことで自分自身が高められる最高の環境でした。高校でもそんなワクワクを手にしたい!入学後のスポーツテストは、私にとって良きライバルを見つけるための絶好の機会でした。

しかし、その期待は外れます。
シャトルランの100回を超えた時、男子含め、周りには誰もいませんでした。その光景を目の当たりにした時の、常に全力で立ち向かうことへの恥ずかしさのようなものを感じたことを今でも覚えています。

絶対やめてやると誓っていたのに、結局高校でも陸上部に入部しました。
女子8割の学校で同期女子はまさかの2人だけ、種目も違ったので練習はもっぱら男子と一緒で、彼らについて走ることが私の楽しみになっていました。
あ、ここでは戦える、と。

でもやっぱり、同じ人間でも性差があることで対等でいられないことを多く経験しました。中学生の頃はここまで強く感じなかったのに、年齢的なこともあるのだと思いますが、私は女子で、彼らは男子なのだと、そして私は女だけれど、彼らみたいになりたい、なりたかったと強く思っていました。だから気持ちだけは負けないように、結果だけは見くびられないように気を張っていました。

そんな時、「女なのにお前は強いから」と、当時一番信頼していた男子に言われました。こういった悩みがあると、打ち明けていた人に、です。
ものすごく、小さな一言です。普通だったら聞き流してしまう、どうでも良いような一言です。
だけど、私にとっては衝撃的でショッキングな一言でした。
ダブルパンチだったのは、他の女子と私を比較しての言葉だったこと。
なまじ女子がたくさんいる学校だったので、私みたいなタイプは比較されやすかったのだと思います。

私は、彼が私を「対等」に見てくれていると思っていました。
「対等の人間」として頑張ってきていたのだと。

でも結局、「女は守られるべき」で、「男より女は弱く劣り」、その事実に対し抗うことは愚かだと、暗に言われているようで、嘲笑われているようで、悔しくて悲しくて、女であることが嫌でつらくて、それでも私は正真正銘心も身体も女で、それは変えようのない事実で、現実とのギャップの狭間で葛藤する日々の中、17歳の少女だった私は初めてこの世に対等なんてないのだと思い知りました。

高校生活は楽しくて、友達と遊ぶことも、部活に励むことも、恋をすることもすごく幸せで、側からみればリア充だったと思います。
だけど心の底では「女なのに」に囚われて病んだ状態でもあり、気心知れた友人には私はただの情緒不安定なヤツ…であったに違いないと思います。
その日常生活の、高校生として当然の営みである学校の授業、そのひとコマの古文の授業で、『源氏物語』と運命の出会いを果たします。

千年前は今よりも遥かに女性の立場は弱く、ほとんど自分の意思で何かを掴むことがでいない時代です。たくさんの教養を身につけどれだけ素晴らしい女性であったとしても、男性次第で幸も不幸も決まってしまう男性至上主義の貴族社会。
そんな時代の女性に、今の自分の闇の部分と重なりました。

作中で理想の女性として描かれる紫の上は果たして幸せだったのか?
作者紫式部は、この物語を通して何を伝えたかったのか?

それを探ることが、私の陰鬱な気持ちを晴らし、この先女性として生きていく私の光になるのではないか…
その想いから、高校は国際教養科で英語を学び、ゆくゆくは海外で日本語教師やツアーコンダクターの仕事に就きたいと中学から志していた進路を180度変え、大学は文学部国文学科に進学しました。(周りは反対してたな…笑)

______

17歳から今に至るまで、私の答えを探す旅は続いています。
約20年経ち、まだ明確な答えは出ていないように感じます。
私は「私の源氏物語」を形に残すのは、明確な答えが見つかってからにしようとずっと考えてきました。
でも、それは違うのではないか、私が求める答えは形がなく至極曖昧で、だからこそもしかしたら気づいていないだけで実は答えは出ているのかもしれない、と思うようになったのです。

それはまだ言語化できないふわっとした状態ですが、
「女である自分のことが好き」
と実感することが増えてきているから。

まだ矛盾はあるのだけれど……
「私の源氏物語」を形に残す1歩目を踏み出すことにしました。

私のこれまでの人生と、その人生から見える『源氏物語』を、この庭にたくさん咲かせていこうと思います。
私の生きる糧となり、今も多くの人を魅了するこの物語を、少しでも多くの方に伝えられるように。
そして、男女関係なく、人として、自分の価値を自分自身が認め、自信を持って生きている私になれるように。
私、というヒトが、少しでも誰かの役に立てるように。
私、というヒトが、生きた証を残せるように。
それがもしかしたら、あなたの光になるかもしれない、と祈りつつ…

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?