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小さなまちの暇つぶし

深夜、いつもの駅からの帰り道。
元々相当臆病な私なのだけど、なぜだか今日はいつも以上にビクビクしていた。
後ろで人が躓くだけで飛び跳ねるくらい驚いて、家までドキドキが止まらなかった。

時々後ろを振り返って歩く。
嫌な汗が出る。
鼓動があまりにも速くなって、思わず首に指を添える。

ふと小学生の頃によくこれと同じような感覚があったなと思い出す。

秋から冬に向かう頃の、夕日が山の奥に沈んで辺りが暗くなる直前。
小学校から1人で1.5kmの通学路を歩いているときの、あの感覚。
私は図書館が好きで、放課後に本を読んで借りるのに少し遅くまで残っていることがあった。秋はいつの間にか暗くなる。田舎では1.5kmの通学路で歩いている人とすれ違わないこともざらだった。

田舎の、他に誰も歩いていない薄暗い道を家まで歩くのももちろん心細かった。

でももっと気味の悪いような、嫌な汗が出てドキドキが止まらなくなる怖さはたぶん、暗さや人がいないことだけが理由じゃなかった。

友達の中にはずいぶんと想像力の豊かな子がいた。
喜ばしいのか残念なのか、1歳の頃から隣の家に住んでいる幼なじみもそうだった。
一緒に帰ることになると、小学生の足では40分以上かかる道中で、噂や作り話をひたすら聞かせてくれていた。怖めのやつ。

新刊が出たら漫画を買いに行く近所の本屋か、休日に家族でいくイオンくらいしか娯楽のない田舎の小学生には帰り道の噂話や作り話も娯楽だった。
少なくとも私は、退屈の中で編み出された刺激的でいい娯楽だと思っていた。

噂や作り話といっても長さも、怖さやリアルさも様々である。
20歳になった今でも時々思い出すものがあるから、久々の夜道にビクビクした記念に思い出せるものだけでも書き留めておきたい。


〈洋館〉
通学路、行きも帰りも毎日通る商店街の中に1軒だけ洋館のような建物がある。そこは普段から人気がなくて、近付く人もいなかった。誰も住んでいない空き家だと思っていたが、ある日普段は閉まっている3階のカーテンが開いていることに気付いた人がいた。

「一体誰が開けたのか」「誰もいないのではないのか」

もしかして誰かが住んでいるのだろうかとか、どうやらあそこはおばあさんが1人で住んでいてだとか、いやあれは幽霊だなんて好き勝手言い合う小学生たち。それだけで数日は帰り道に苦労しない。

あるときは1人が指を指し、「今3階のカーテンの影に何かいた。」だなんていうものだから3秒ほど空白をはさみ、絶叫しながら全力で逃げた。

1人のときは、横目で1階から3階まで見ながらサッと通り過ぎた。


〈宅配のトラック〉
宅配といよりは、〇協みたいに定期的に家に食材を届けてくれるトラックだと思う、今考えれば。
物流など頭にない小学生の妄想話。

人気の無い田舎の住宅街を走り抜けていく小型のトラック。
時々音楽や無機質な放送を流しているのもあった、きっと。

トラックには牛や野菜の絵が描かれている。
食材を家庭に届けるトラックなのだから、何も不自然じゃない。
むしろ普通だ。今ならきっと、意識もせずに見逃しちゃう。

すれ違ったトラックを追うように振り返った友人はニヤリと笑いながら私にいつもの「お話」を始めた。

「知ってる…?あのトラック、中には人が積み込まれているんだって。1人で歩いているときにあのトラックに会うと、殺されてトラックに乗せられちゃうんだよ。」

ゴクッと息を呑み、ペースを保って歩き続けることが限界の私。
友人の話はもっと深くこう、事例に基づいたような内容になっていたのかもしれないけど、正直衝撃的すぎてそれ以上は何も覚えちゃいない。

根も葉もない噂だろうに、一体どこからこういう話は生まれてくるのだろう。
商店街が通学路になる前、もっと薄暗い寂しい住宅街が通学路だった頃の話。

1人で帰るとき、小さめのトラックとすれ違いそうになると涙目になりながら全力疾走した。


〈クロッキー〉
「クロッキー」って、うちの地元以外でも呼ばれているのだろうか。

ナンバープレートが黒字に黄色文字のアレのこと。

大都市にお住まいの方は遭遇率が高すぎてあまり考えないかも知れない。田舎の、しかも国道が通学路ではない小学生からすると、「クロッキー」をお目にかかれることは稀だった。

噂はいきなり始まる。

「クロッキーを3回見ると願い事が叶うんだって!」

通学路ではみんな、どんなに話に夢中でも「クロッキー」を見かけた瞬間反応するようになった。
学校でも「クロッキー」を3回見た話で盛り上がる。
みんなはどんな願い事をしたのだろう、叶った人はいるのだろうか。残念ながらその後の話は基本的に、ない。

しばらくすると噂には尾ひれがついていくものである。

「クロッキーを3回見ると願いが叶う、幸せになれる。でも2回しか見られないと良くないことが起こる。」

1人の帰り道だって、クロッキーを見逃さなかった。

2回しか見つけられなかった日は、これから起こる不幸に震えながら布団で泣いた。ダバーー。

どの不運がクロッキーのせいで、どの幸運がクロッキーのおかげなのか分からぬままブームは去って、誰もクロッキーの話題など出さなくなった。
私は今でも見かけると心の中で呟くぞ。

「(あ、クロッキー。)」


〈お風呂〉
その友人の家は、お風呂掃除が持ち回りだった。
自分1人でお風呂掃除をする日があるのに、よく人の反応を楽しみながらこんな話が出来たものだと思う。

話の詳細は全然覚えていないのだけど…。

小学生の子どもたちが1人の家に集まってかくれんぼをする話だった気がする。
みんな思い思いの場所に隠れる。
1人、湯船の中を隠れ家に選んだ子がいた。
湯船に隠れていると、いきなり排水口からクリームチーズ的なものがあふれ出てきて埋もれてしまうみたいな話だった。

大方その前に出されたチーズケーキを捨てるとか、チーズにお粗末なことでもしたのだろうと思う。

当時怖かった話も詳細を忘れると何が怖かったのかさっぱりわからない。

その日からしばらく、私は1人でお風呂に入ることを断固拒否、したかった。
昼間ですらもお風呂場をのぞきに行くこともなくなった。


〈カラス〉
帰り道、日没直前の薄暗い通学路。やけにカラスの多い日だったから思いついたのだろうか。
友人はカラスにまつわる怖い話を存分にしてくれた。

ざっくりいうと、カラスに意地悪をしたら顔を覚えられて、巨大カラスに捕まれて森の奥に拉致されるというストーリーだったんじゃないかな。
巨大なカラスに捕まれて、遠くへ遠くへ連れて行かれる。
地元長野は深い山も多い。杉に囲まれて薄暗い、いかにも歴史ありそうな神社も多い。
そんなところへ連れて行かれた日には怖すぎて気絶ものだとブルブル震えながら話を聞いていた。

そもそもそんな話、カラスの前でしちゃいかんだろ。聞かれてるよ会話、絶対筒抜けだよ。

それから1人の帰り道でも、カラスと目が合ったらお辞儀をして、無害そうなアピールをしながら小走りで通り抜けた。


〈ベッドの中の遊園地〉
友人が話してくれた中でも超大作だった。学校出てから家に着くまでしていたか、下手したら1日で終わらないストーリーだったかも知れない。
私のトラウマ順位もナンバーワンだきっと。

ある子が夜寝ていると、いきなりベッドがガタガタ揺れて「ココハ ワレラ ノ トオリミチ」という声が聞こえた。驚いてベッドから離れると、ベッドを開けて中から老人が出てきた。老人は子をベッドの中の世界へ連れ込む。
ベッドの中はどうやら遊園地になっていたらしい。

私は動画やアニメを見せられているわけじゃない。
小学生の友人がペラペラ話し続けるのを聞きながらひとつひとつ頭の中に情景を描く。情景を描き、頭の中は映画さながら。

ベッドの中の遊園地が、私には真っ暗闇の遙か下に見えてくる。
鄙びた遊園地。メリーゴーランド、観覧車、小さな小さなジェットコースター、コーヒーカップ。遊園地なんてそんなにいくもんじゃないから、ただだだっぴろい空間にだって、描けたアトラクションはそんなもんだった。

空間の中を自在に飛び回る老人。その老人に手を引かれるパジャマ姿の幼い男の子。

友人の話にどこまで細かい描写が含まれていたのかは覚えていないけれど、勝手に世界を描いていた。

遊園地は老人と幼い男の子の貸切。2人は朝まで遊園地で遊び続ける。
朝になると老人は男の子を送り届け、男の子はベッドで目を覚ます。

男の子が親にそのことを話し、親がベッドを調べてもベッドは開かず中にも下にも何も見当たらない。
しかしその日の晩もやはり老人は迎えに来る。

しばらくそれを繰り返す。

毎晩ベッドがガタガタゆれて、「ココ ハ ワレラ ノ トオリミチ」といい老人がやってくる。

ある日男の子は遊園地の中で老人に何かを告げる。

途端に老人の表情は変わる。
遊園地は暗闇に飲まれ、男の子は老人に手を握られたまま暗い闇に消えていく。二度と戻ることはなかったという話だった。

こんな話を知ってしまったら、今夜にでもベッドが揺れやしないか、老人に連れ去られはしないかとドキドキして眠れない夜が続いた。


〈100円ババア〉
通学路を1人で歩いていると、エプロンを着けたパンチパーマのおばさんに話しかけられることがあるという。
第一声が「100円くれないかなあ?!」なので、100円ババアと呼ばれていた。

100円をあげるとおとなしく去って行くが、100円あげないと連れ去られるとか追いかけられるとか殺されるとか、色んな話に分岐した。

1人の帰り道はおばさんをさけるようになった。
お金を持っていってはいけない学校に100円だけ持っていくか、自己防衛と規律を守る心でだいぶ揺れた。
毎日私服の小学生が常にすぐ出せる場所に100円を持ち続けるのはそもそも無理だ。

噂話も自然と聞かなくなっていった。

ただ確実に学校の何人かはポッケに100円玉入れていたんじゃないでしょうか。


〈トイレの花子さん〉
これはとても有名だから知っている人は多そう。

確か放課後に4番目のトイレをノックしながら「花子さん、遊びましょ♪」っていうと引き込まれるみたいなやつ。

しかし、田舎の幼稚園や小学校では時に「4番目のトイレ」がないことも、なくはない。
花子さんはいないのか…?

小学生の想像力は負けない。

4番目のトイレに花子さんがいるのなら、3番目のトイレには花子さんの妹がいるものだ。

放課後は意地でも学校のトイレを使わなかった。
ノックしたり合い言葉を言ったりしなければ大丈夫だと分かっていても怖すぎる。無理無理無理。


〈船のレストラン〉
私の地元は山と山に挟まれて一番低いところに川が流れる場所だ。
片方の山の斜面の街から、反対側の山の斜面の街や家々がよく見える。

学校の2階、3階の窓からも反対側の山の斜面が少し見えた。

山の斜面にはりつくように、船のような形をした不思議な寂れた建物が建っている。
大人に聞いてもあまり確実な正体を知る人はいなかった。

少ない人数ではあったけど、その建物を「船のレストラン」と名付け、呼び始めた。

船のレストランは昔、たいそう賑わっていた。しかし事故が起き、お客さんが来なくなり、今は廃墟になっている。

火事で廃墟になったのだろう。

川を挟んだ対岸というのは、同じ市であっても小学生にとっては「見えるのに触れられない場所」だった。道路くらいはあるのだろうが、山の中腹にぽつんと建つ建物を確認しにいくすべなどない。そもそも山を登り始めたらどこかなんてわかるはずがない。
船のように見えるのは反対側からだけかもしれないし。

確認できないものには色々な噂が飛び交い、尾ひれ背びれ腹びれ何でも付いていく。

結局いつの間にかみんな「船のレストラン」の話など忘れて、建物は今でも同じ場所に立ち続けている。


〈飛行機の墜落〉
幼稚園の頃。園庭で激しく運動して遊び回るのが好きだった。
園庭の端っこにはちょっとした木が何本か植わっている。シンボルであるクルミの木に比べたら、少し大きい草くらいの木。幼稚園生から見たらそれでもそこそこには大きいのだ。

私の地元があるのは、最寄りの空港から車で1時間半はかかるような場所だった。
幼稚園生の我々は、空高く飛ぶ小さな飛行機しか見たことがなかった。

園庭の庭木には所々赤いペンキのようなものが付いている。

ずっと気がつかなかったが、遊んでいるときにふと気がついてしまうと、それはそれは気になるものである。
幼稚園生ズは速やかに、そして静かに調査隊を結成する。

ある1人が真実にたどり着く。

「これは昔飛行機が墜落した跡だ。けが人か死人が出て、これはそのときの血痕だ。」

なるほど…。

深刻な顔を見合わせる幼稚園生ズ。

ちなみに庭木は直径20センチ程度、庭木の植わっている場所は幼稚園のバスをとめる小さな車庫である。

妙に納得した幼稚園生ズはその深刻すぎる結末に言葉を失い、手を合わせて解散した。
小学生くらいで成田空港の飛行機を見て、色々と察した。成長である。


〈でいだらぼっち〉
出身小学校には、大きな石が直方体に積み上げられ、上にまあるい巨大な石が乗ったオブジェがある。

「でいだらぼっちの石」とか呼んでいた。

あのもののけ姫に出てくるでいだらぼっち。

伝説では昔々でいだらぼっちは長い距離山を越えて歩き回り、その途中この石のオブジェの場所に腰をかけ休憩したという。

ちなみに石のオブジェの高さは2.5mくらい。
小学生では上までよじのぼれたら高学年の仲間入りだけど、でいだらぼっちには小さすぎるだろ。

とはいえ車で1時間以上かかるであろう松本に、同じようにでいだらぼっち伝説があった。案外全部が作り話って訳でもなかったりして。


〈狐〉
家の庭に一度だけ、狐が現れたことがあった。

本で見るようなほっそりしたつり目ときらきらさらさら黄金ヘア、、、ではなかった。
むき出しの牙、獣の目、怖い。

その狐はどうやら、少し家から上へ行った寺に昔から住んでいるらしい。
隣のおばちゃんがいう昔からって、いつからよ。もう妖狐でしょ。
そのお寺は境内に広い砂利のスペースがあって、よくサッカーや鬼ごっこをしていた。

巨大な木が生えていて、池もあり、池の中には魚が住んでいた。
門から中に入ると静寂さに引き込まれそうになる空間で、引き寄せられるような場所でもあった。
1度はお寺の住職さんにセイヨウタンポポと日本のタンポポの見分け方を教えていただいたこともあった。
寺の中で狐に出会うことは結局無かった。

隣のおばちゃんから聞いた話では、もう狐は亡くなったらしい。
一度しか姿を見ないままだったけれど、私が地元を離れるまでの10年間、案外生活のそばにずっといたのだろうか。


〈おわり〉
こう実際文字にしてみると、なんじゃそりゃってのばっかりではある。
次々に噂話が出てきては尾ひれが付き、消えていく、ひたすらに幼稚園生、小学生に編み出された唯一の娯楽かもしれない。

ゲームを持つようになり、スマホを持つようになり、世界を知るようになり、どんどん妄想の余地は減ってわからないことはすぐに調べ、怖いものも少なくなっていった。

畑に着いた足跡の正体を見破るために真冬の草むらに30分潜伏したこともあった。玄関のドアに揺れる木の陰が怖くて、人生で3回くらいお父さんに外の確認をさせている。人がちょうどは入れるくらいの水路を、それ以上は流されるから止めなさいと言われるまで、蜘蛛の巣に引っかかっても突き進んだ。

ちょっと肌寒くなり、なぜだか嫌な汗が止まらなくなった20歳深夜の帰り道。ぽつぽつ思い出した幼少期の思い出は想像以上に自分の中に深く残っているんだなあ。

とりとめのない思い出話の書き連ね。

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