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中国に住んでみて驚いたこと、そしてどうやって適応したか

どうも、うすしおです。
今日は普段の旅行記とは少し違います。
内容も違うし、文体もちょっと違います。
文体が違うのは、深い意味はありません。笑


実は2011年~2014年の3年間、私は中国の深セン市というところに住んでいました。
小学校6年生から中学3年の4月までです。
日本からいきなり中国に行くことになり、色んなことを経験しました。
帰国後しばらくして、高校1年生の時のことです。
ふと、高校受験が終わり落ち着いたところで、中国にいたときの経験を書いてみたくなりました。

そこで単発記事も募集している「Bound to Bound」に単発の記事を書かせていただきました。

校正をしていただいた完全な文章は以下からお読みいただけます。

前段階の文章を久しぶりに見つけたので、こちらに載せておこうかなと思います。
中国でひたすら異文化と体当たりし続けた生活、最初は日本と比べてあれが良くないこれが良くない日本に帰りたいという気持ちしかありませんでした。
そんななかで3年間過ごし、帰って振り返ってみたときに心境の変化に気付きます。

「なんだかんだ楽しかったよね、中国。」

そんな気持ちになれた時に書いた文章です。

(以下本文)

現在高校1年生で、小6から中3の最初まで中国に住んでいました。その時の経験と学んだことを書きます。

父の仕事の都合で中国へ行くことを知らされたのが12月下旬、その3ヶ月後、3月下旬に私たち一家は中国へ渡りました。

私が住むことになったのは、中華人民共和国広東省深圳市。中国の南側、香港のお隣です。香港のお隣であり、経済特区となっている深圳市。中国の中ではかなり近代的な発展をしている町です。そんな港町で私は想像以上に様々なことに出会いました。
ここでは、日本とのギャップにどう適応したかをご紹介します。

私たちは香港経由で中国に入国しました。記念すべき初びっくりは、タクシー乗車拒否です。フェリーターミナルにいたタクシーに、マンション名を告げると「近いからダメだ。後ろのやつに聞いてくれ。」と言われました。後ろのタクシー運転手にマンション名を告げると、「前のやつが行かなきゃ俺は動かねえ。」と言われてしまいました。交渉できるほどの語学力は誰も持ち合わせていなかったので、マンションまで1キロ弱、仕方なく重いスーツケースを引きずって歩くことにしました。
しかし、不運は続くもので、道のタイルががたがただったためスーツケースのタイヤが壊れてしまったのです。慣れてしまえば15分の道のりを1時間もかけて歩きました。やっと着いた部屋はホコリまみれで、その日寝る場所すらありませんでした。
幸い中国にはイオンが進出していたため、自宅から車で15分ほどのところにイオンがあったのです。私たちはその日の夕飯と布団を買うために、タクシーにリベンジしました。今度の人はすぐに乗せてくれました。しかし、運転手さんは地図が読めなかったのです。私たちも一度も行ったことのない場所ですが、地図を見ながらタクシー運転手の道案内をするという不思議な体験をしました。
とても1日のうちに起こったこととは思えませんよね。日本にいるうちは、おそらくほとんどの人が死ぬまで1度も経験しないことです。

この他にも、放し飼いの犬に追いかけられたり、水屋さんがウォーターサーバーの水のタンクを蹴って運んでいたり、日本ではありえないことの連続でした。
しかし、私が言いたいのは中国の愚痴や日本の凄いところではありません。
私が中国での生活に順応することにおいてもっとも障害となったのは、日本との比較と、それに優劣をつけることです。
中国へ渡って1年くらいはずっと、日本ならタクシー運転手に乗車拒否されないのに。とか、日本なら買った商品は丁寧にかごに入れてくれるのに。とか、日本を基準に物事を測っていたのです。
私が、自分が中国での生活に慣れてきたなと感じたのは、乗車拒否されないためには先に乗り込んでから行き先を告げればいいのか。とか、お店のおばちゃんたちフレンドリーで話しかけやすいな。とか、日本がどうこう関係なく中国を見れるようになった頃でした。中1の夏頃だったでしょうか。
まだ子供だった私は、中国には中国の良さがあり、日本には日本の良さがある。という言葉の意味を理解するのに1年以上かかってしまいました。しかし、中国に行かなかったら未だに日本と比較して悪いところばかりを見てしまっていたでしょう。
日本と比較するのが悪い。とはいいません。日本はああだけど、中国ではこうだ。から得られることも多いからです。ただ、日本はああだけど、中国ではこうだ。だから中国はだめだ。という考え方は良くないなと感じました。

どんな理由であれ、これから中国へ行く皆さん。日本とのギャップは大きいです。しかし、似ているところもいいところもたくさんあります。ギャップを楽しんでください。

この投稿が少しでもお役に立てば幸いです。

(ここまで。)

ということで、私が高校1年生の時に書いた文章ですね。
今よりよくかけているでしょうか??笑
さすがに今の方が表現も言葉の幅も書き方も上達しているでしょうか?笑

色々思うところはありますが、1つだけつっこんでおきましょう。

「中国にいたとき、長野出身のお前はイオンモールのことをイオンではなくジャスコと呼んでいただろう。」

4年前の文章はなんだかちょっと小っ恥ずかしい気持ちがしますね。笑

そのうち中国にいたときのお話なんかも書いていく予定です。
ちなみにトップの画像は当時住んでいたマンションからの景色です。

それではまた次回。

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