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どうすればいい?という話

ここ二週間ずっと精神的不調だった

もはや何があったのかもぼんやりとした記憶しかない。
法人化に向けた手続きも0.8倍速くらいになってしまった。昨日ようやく電子定款の作成に向けた手続きができて、一歩づつ進んではいるが、いかんせん在宅の作業(修理やPC上で行える業務)が増えてしまい、まったく外に出ることなく日々が過ぎていった。

因果応報というか、この状況で誰かが遊びに誘ってくれるわけもなく、家でくたばっている自分を助けてくれる人もいるわけもなく、部屋はどんどん廃れ、同時に生きる気力そのものもなくなっていった、手の震えは次第に仕事に影響を及ぼす程度になり、簡単な作業も徐々に難しくなっていった。

ただ仕事をしなければお金は消えていく一方だ。赤字だけは避けたい。家ではなく外に出る形での仕事も増やしたい。

誰かのサポートが欲しい

遊びに行く相手も極端に減ってしまった。無理はない。それだけのことはした。それでも恋人がいたり、家族がいたり、親友がいたりする人は羨ましい。
欲を言えば家で死んでいるとき、ずっと「誰か家にきてくれ」と思っていた。ここから抜け出し、一日でも遊びに行ければ精神状態は少なからず好転するからだ。仕事の依頼でもいい、外ですることがあれば家で鬱々としたことを考えないで済む。
折角知り合いが多い場所に越したのに全く裏目にでることしかしなかったせいで、すべての希望を失った。
正直死にたいとなんて何度思ったことか、実行に移したこともある。今も意味不明な動悸を頓用の薬で押さえながらなんとか生きている。
二週間ほぼ引きこもっていたせいで本当に全身に不調が出て、特に動体視力や、体の動きが極端におかしくなった。全身震えながら生きていたら無理もない。
酷かったのが目がおかしくなってしまったことだ、手元作業が多く、何もない日はごろごろしている。日の光を浴びるようにはしていたが、原付の運転もやっとなレベルで目の焦点があわなくなってしまった。これはたぶん栄養失調もあるかもしれないが、本当におかしくなってしまった。

やはり伴侶が欲しい

一人で生きていけるときと、一人じゃ生きていけない時の差が激しい。今は完全に後者だ。ただ(両親的な)家族が欲しいわけでもなく、自分が好きで、自分の抱えていることや日常の話を聞いてくれる相手、且つ一緒に打開策を見つけてくれる相手がいないと人間はそもそも生きていくことができないんだなと再確認した。
人の話を聞くことは苦手ではないが、あまりにも自分の現状を話さな過ぎた結果本当にキャパオーバーになってしまった。そしてその相手というのは親友よりも上位(諸説あり)な関係が望ましいと。関係性にこだわるのは「お互いの悩みをお互いが解決する義務がある」関係かそうでないかが結構自分の過去によってふかく刻まれているからだと再確認した。
そして、友達というのは案外すぐ裏切るものだとここ数年で自覚したからだ。無論逆もあるとは思うが、根底には「所詮友達だし」という深層心理があるからに違いない。

よって、容易に裏切ることのない関係性、裏切りによる代償という名の責任がある関係を強く望んでいることを自覚した。
それが自分の結婚願望に繋がっていることも。

まあ端的に言うと、助けてくれということになる。自発的に会いに行く前に家にきて話を聞いてほしい。これに尽きる

そして仕事をする動機として、自分がやりたいからもそうだが「○○のためにしたい」という動機をもっと増やしたいことも分かった。それは家庭とかもそうだし、ほかにもいろいろある

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