命日

正直今日はもう何をしても何を見てもダメな日です。
体が覚えているのでしょう。
昨日の私は脳みそにそんなこと一ミリも思い浮かんでいなかったのに。
4月の半ばを過ぎてから、できるだけカレンダーを意識しないように生きていました。
それでも人間社会は暦と共にあります。
金曜日になれば飲み屋街は混んで、木曜日には病院が休みで、月曜日には9時からドラマ放送がある。
意識したくないことをシャットアウトして生きていけるほど単純な世の中ではないんです。
もし、一日進むことに意味もなく、日数ごとに区切らず、単位と呼び名を付けていなかったら、私は今4月19日を意識せずに過ごすことができていたはずです。

私の気持ちは去年から置いてけぼりのまんまです。
個人的な接点もない、アイドルが、一年前に死にました。
私はそのアイドルグループが好きでした。一番好きでした。
いわゆる推しは同じグループに所属する違う人でしたが、私はそのアイドルグループが大好きでした。
唯のオタクな私から見ても、不安定な時期だったと思います。
7年続いた契約を更新するかどうか、そんな中一人のメンバーがグループを離れ、5人で再契約を結びました。
日本の隣の国には兵役という制度があります。
男性は皆必ず2年弱軍に所属し、訓練を受けるのです。
軍に入隊することは国の義務であり、入隊には年齢のボーダーがあります。
私の好きなグループにも、入隊のボーダー年齢が近づいていたメンバーがおり、再契約は入隊中に行いました。

メンバーが2人もかけた状態。
さらに、一人のメンバーは俳優として活躍していました。
アイドルとしてデビューを果たしましたが、昔からの夢であった俳優業がヒットし、今もドラマや映画にひっきりなしに出演しています。
再契約を結んだあと、グループとして集まることが、めっきり少なくなりました。
最近アイドルグループではよく、再デビューとして、デビューしているグループからユニットを編成し曲をリリースすることがあります。
例にもれず彼と私の推しは、グループの中から2人組として曲をリリースしました。
グループとして活動するには、どうしても安定していなかったからです。
その2人組ユニットで彼と推しは1年前、ワールドツアーを予定していました。

ワールドツアーを開催すると情報解禁されてから、日本で開催される別のイベントに彼ら二人が出演することになりました。
私は、彼ら二人のワールドツアーに参加する予定だったので、このイベントには参加するつもりはありませんでした。
けれど、妹の好きなグループが出演するとなり、一緒に行こうと誘われ、参加することにしました。
彼ら二人はたくさんのアイドルが集まるこのイベントで、MCを任されていました。
長く二人で音楽番組のMCをしていた経験もあったため、つつがなくMCは進み、最後に彼ら二人のパフォーマンスが行なわれました。
二人で踊っている姿は動画でたくさん見ていたし、生で見たこともあったのに、私は何とも言えない気持ちになりました。
その違和感はいったい何だったのか、私は今もわかりません。
2曲披露し、2曲目の半ばで、私はふと、我に返ってしまったのです。

その2週間後に、彼は、死にました。
ふと我に返ってしまったあの日が、彼らを見た最後の日になりました。
ワールドツアーを準備しながら、各国を飛び回りパフォーマンスをしていた彼らは、忙しい中でもSNSでLIVE配信をしてくれていました。
そのLIVE配信の中で、彼は、疲れてしまった、と発言していたのを覚えています。
彼は私の推しより2歳年上でした。
二人で頼り合うしかない中で、自分より年下の弟分に頼ることが、彼には難しかったのかもしれません。
彼は責任感が強く、自分のパフォーマンスに対して完璧主義であると、私たちですら感じることがありました。

その時、私は眠っていました。
朝起きると、アラームを止めたスマートフォンにたくさんのメッセージが入っていることに気が付きました。
こういう時、嫌な予感を感じ取るのは、なぜなのでしょうか。
仲のいい友達が、パニック状態の文章を送ってきていたので、私は瞬時に把握することができず、嫌になるほど脈打つ心臓を抱えて、アイドルグループの公式アカウントを開きました。
隣の国の言葉を、勉強しなければよかった。
誰かが翻訳して、仔細を分かりやすく載せてくれた文章を読めばよかったと、私は心から思いました。
文章ははっきり、彼が、星になったと伝えていました。
どうすることもできなかった。どうすることが正解か、わからなかった。
ただベッドの中で呼吸が荒くなるのを感じていました。
妹が私の様子を見て、静かに抱きしめてくれました。
彼にも妹がいました。
私は私の妹の腕の中で、涙を流しました。
その日は仕事があったので、どうしても家を出なければなりませんでした。
会社の同僚や上司からも、体調はどうか?と連絡が来ていました。

午前中、半日休みをもらいました。
涙が止まらないからです。
とめどなくあふれる涙は、どうしてこんなに暖かいんでしょうか。
冷たい涙はないのでしょうか。
それなら、彼が流した涙も、暖かいのでしょうか。
それから数時間かけて、家を出る準備をしました。
世界中の人が、彼を追悼し、惜しんでいました。
中には、助けることができなかった、どうしたらよかったのか、と自分を責め、嘆く人もいました。
私にはわかりませんでした。
彼が彼の気持ちで決めた決断を、どうして自分のものにして嘆くのだろうか。
なにかをしていても、助けようとしていたとしても、彼の決断をだれも止めることはできないと思いました。
そしてまた、無力感は行方を失い、彼に人間を求めていた自分のミーハー心を恥じました。
アイドルという職業を選択し、彼は誰よりもアイドルをしてくれていたのに、助けたいだの、休んでくれだの、向き合い方が違ったのではないかと疑問に思ったのです。
人が人格を売っている職業だからこそ、線引きと楽しみ方が難しいなと感じます。
彼らが見せてくれるアイドルとしての一面はあくまでアイドル。
一人の人間としてではなく、仕事としての彼らであるということを、どうも忘れてしまいます。
そういう風に忘れさせてくれるのは、彼らのプロとしての腕前であるとわかりますが、死は違うと思います。
彼の選んだ「死」は、アイドルとして大事にしてきたものをないがしろにしてまで決断した、彼のプライベートだったと、私は考えています。

死、とはとても大事なテーマだと思います。
センシティブで、人の数だけ考え方があるテーマだと思います。
人に話すこともはばかられる思いがあるかもしれません。
でも、考えないというのはまた違うと思います。
とくに、故人が明確にいる場合、考えずとも考えてしまう状況になってしまうこともあります。
彼が亡くなって、数日後にはたくさんのメディア媒体が追悼文を出しました。
私にはそれが、自分の中の気持ちとマッチしませんでした。
世間の言葉と自分の心がずれたまま、1日1日と過ぎていきます。
どうしてそう思うのか、過去の彼らの写真が目に入った時、私は腑に落ちました。
私の中では、過去になっていなかったからです。
彼がいない、という今が、六人で笑っていたあの時から地続きでつながっているのです。
たった数日で過去にいた人として扱っているメディアに対して、私は、今ここにいない人、として捉えていたのでした。

その思いは1年たっても続いています。
グループの集合写真を見ても、私には彼が「今」いない写真に見えます。
今いる人だけではなく、今いない彼もいっしょに1年歩んできたと考えてしまう。
過去に置いてきぼりにされているわけではなく、今もなお「いない存在」として私の中に存在している。
その余白が見え無くなった時、私の心もあの時のメディアと同じ場所で彼を過去の存在にするのでしょうか。


余白に心がおいてきぼりにされてから、ずっとずっと、考えることです。


2024.04.19

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