傷ついた人の話を聞くとき
みなさんこんばんは
明日から仕事ですね!
できればワクワクして明日の朝を迎えたいです!
どうも、未完成のみかんです
昨日の夕方突然「相談させてください!」と連絡がきまして
その後輩の子と飲みに行って相談を聞いてきました。
「昨日の昨日まで普通に一緒にいた彼氏から
急に振られてしまった。どう捉えればいいですか?」
という、さらっと重たい内容でした。
うむ、、、
まず、ここで私は勝手に決めつけて話すことをしないよう
とても気をつけて、言葉を投げかけました
とても絵が上手で、柔らかい関西弁を話す後輩は
とてもとても、傷ついて泣いていました。目がボンボンでした。
話の端端から、この悲しみのタネが「自分が相手の気持ちをマイナスにする、何かしたのではないか?相手の気持ちはどういう状態なんだろう?
ごめんなさい」という自責による涙だと、私は読み取ることができました。
「この突然の出来事をどう捉えればいいか?」
というシンプルな質問に対して
「私が君の立場ならこう捉える」というスタンスで、慎重に慎重に出した答えは
「相手の心の中を探る前に、君の心がどう感じているか?を考えた方がいい。わからない、掴めない雲よりも、足元をちゃんと見て、どこを歩いてきたか、振り返ってみたらどうだろう。自分のことはコントロールできるはずだよ」
お前は、お坊さんか?というツッコミが来そうなアドバイスでしたが
彼女はとても素直に、聞き入れてくれて、自分がどう振舞っていたのか?相手とどう接してきたか、とつとつと涙を堪えながら話してくれました。
聞いていくうちに、「自分は人に何かを与えられることに対して躊躇する」というところから、「自己否定」の根っこを掴みました。
「無条件にそこにいるだけで、愛されていい存在なんだよ。人って」
というアドバイスをしたら
めっちゃ涙を流して、私はドギマギしましたが
その素直な感情を正面から受け止めました
自堕落な人は、そもそも自己否定になりません。
傲慢と自己肯定感は相対するものなので一緒にしてはいけません
そこは、彼女は自堕落でないことは、話を聞く限り
火を見るよりも明らかでした
待ち合わせてあった時
顔は疲れて、肩に力が入って、、、
気持ちのコップがあるとすれば
感情という水がすり切り、一杯一杯だった彼女の心の水が
溢れて出た感じがしました
条件付きの自信に縛られている、自己否定の人は
コップがいっぱいになるまで頑張っちゃうんですよ
それで、逃げる人の方が多い中
自分で、自分を苦しめてしまう、追い詰めてしまう。
その姿は、すぐ逃げる自己中心的な人から見るとやりにくくて
対峙することは脅威になります
愛しているということを実感できない自己中心的な彼は
彼女に何も打ち明けず、対峙することなく
自分を悲劇のヒーローに仕立て上げ、さっさと逃げたのでしょう。
「本当に相手を思うなら、相談できるはず。
だから、君は悪くないとも言わないけれど、自己否定をやめないと
また、同じことになるよ。」とちょっと棘のあることも言ってしまいました
2時間ぐらい涙ながらに食事を共にした後、
スッキリした彼女の顔に、私はほっとしました。
「なんで、話を聞いてくれるんですか?」
と聞いてきましたが、条件がないと話を聞いてくれない。条件を満たしていないと、話を聞く価値のない私という存在。という自己否定の表れがそこにありました。なので、
「聞いてくれてありがとう!でOK!」
と答えたら、また泣いてました、、、
絵が上手で、素直で、柔らかい関西弁を話す若者が
傷ついたあと、とてもいい笑顔で帰って行きました、、、
こういう瞬間に出会えることが
会社で儲けたとか、昇進して偉くなった!とかより
100万倍充実感のある時間だなぁ。と思った私は
社会のマイノリティかもしれません
気持ちに寄り添うことは
とても難しい。つい俺ならこうする!みたいに話をただ聞いてあげることを
すっ飛ばしてしまいます。
とても忍耐の居ること。我慢ではありません。
忍耐して、濁ったコップのチリが、底に沈澱するまで
「待つ、ただひたすらに聴く」
私のコップに余裕がなければ、これも難しいかもしれません。
(私もコップに余裕がない時もありますw)
できるだけデカイ器を持ちたいですね~
この気持ちを忘れないように
今日、noteにしたためました
共感してくれる人が多いと
より良く生きれる社会を目指せると思います
みかんせいでもいいんだよ。
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