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ぼくの株の話 part5

「お前知ってるか?半額刺身ってやつをよ。」

2ch某スレ某億トレより

〇前回の話

〇馬龍投資家うっし

 僕がなぜダーマの神殿で武闘家ではなく、賢者でもなくバリュー投資家に転職することにしたのか、これを語るには当時の相場を語らなければならない。

相場チャート2

 2009年はまさに世紀末、民主党政権の始まりでもあった。稀代のお坊ちゃん鳩山由紀夫が総理の座に就きトラストミーと寝言を言い、コンクリートから人へ的な号令があったり、なんとかホーが2位じゃダメなんですかとか言ってたりした暗黒時代の到来である。相場は2006年から始まった超下落相場が一旦の落ち着きを見せつつあり、ようやく相場にいくばくかのお金が戻り始めた、2009年当時の株式市場はまさにそんな感じだった。景気も完全に冷え切っており、リーマンショック後に芽吹いたわずかな実りをモヒカンたちが奪い合っていた。2020年現在からは想像もつかないが株はまるで闇市に並ぶジャンク品のような扱いをされていた。

 へっへっへ・・・お兄さんいい株ありますよ。この値段はぼろ株じゃないかって?バカ言っちゃいけねえよ。こんな値段だがこの株は正真正銘国際優良株()だよ。

 怪しいおやじがお勧めするコピーブランド品みたいなそんな具合だった。端的に言って今のぼろ株の方が当時の国際優良銘柄よりもはるかに評価されているという有様だったのだ。

 どのくらいやばい評価だったのかをざっくりイメージをするために数字で表現すると今per100以上が当たり前の超ミラクルハイパーエクセレントグロース株()のperが当時は15くらい、成長性の感じられない所謂馬龍(バリュー)株はper5かそれ以下、シクリカル要素が強い株はper3くらい、REITの利回りは物によっては年利20%とかだった。今みんなが見れば天国のセールのような値段で株は当時取引をされていた。それにも拘らず売られたりすることもあったし、誰かに買い上げられるということもないまさに極寒の時代であった。端的に言えば株というのは基本安いものだったのである。そんな中でデイトレ紛いのやり方で心に傷を負ったピュアボーイである僕が最初の職業として馬龍投資家を選んだのはある意味で必然であったと言えるだろう。

 安い株を求めて三千里の旅路を歩み始めた僕であったが「安い株」とは何なのか正直よくわかってなかった。本にはper10以下、pbr1以下は割安だというような感じで書かれていたのを目にしてはいたが、正直そんな株はゴロゴロあったし、per3よりもper8くらいの株の方が上がることなどざらにあった。その違いがどうやら株で勝つための真理であるように感じた僕はその違いについて必死に考えた。そして僕は馬龍投資家をやめることとなった。おいおいもうやめるのかよというつっこみ、わかりますよ、わかります。とてもよくわかります。でも勉強していくと、どうしても馬龍投資は来年億万長者になりたい僕にとって適切な方法とは言えなかった。

〇今すぐ上がる株がほしい。今すぐお金が欲しい。

 上がる株と上がらない株を突き詰めていくと要するに今の値段よりも高くてもほしいという人間が「自分が買った後に」大量に発生するかどうかというのが重要だと僕は気づいてしまった。僕は需給という概念に気づいてしまった。この偉大な発見はアインシュタインの功績に匹敵するのだと僕は思った。馬龍投資はシケモク集めだとどこかの本に書いてあったがその通りだと思った。確かに最終的には儲かるかも知れないが、僕は若いうちにお金が欲しかったし、もっと言えば今すぐ1億欲しかった。仕事を辞めて自由になりたかった。それも切実に。

 当時は所謂ボックス相場であったので慣れてくるとそんな難しい相場でもなかったと言うのが振り返った自分の感想だ。ある程度下がったところで業績の悪くない株を適当に買い下がって、ある程度のところで売ると言ったやり方に切り替えて、僕の資産は急速に増え始めた。僕は聖杯を見つけたと思った。馬龍投資家から僕は所謂スインガーに転職していた。

 スインガーに転職した僕は2010年を順調に乗り切った。全体の相場自体は下落基調にも関わらず、その年のパフォーマンスは40%を超えていた僕は有頂天だったし、なんなら天才だと思っていた。新世界の神に俺はなる!そう呟きながら1kの部屋の中でぐるぐると回っていた。田舎に軟禁されていて使うアテのない給料の大半を用いた圧倒的な入金とこのパフォーマンスなら10年で1億と言うのはかなり現実的な目標であるように思えていた。あまりにも楽しいものだから福利計算を毎日してはニヤニヤしながら眺めていた。ただ憧れていた億トレへの道筋が輝いて自分の前に現れていた。

 2011年も滑り出しは順調でがっつりと株を買い込んでいた。これは去年のパフォーマンスを超える事間違いなしとまさにドヤの極みに達していた僕。お金が増えるって楽しい。株よありがとうそんな気持ちで毎日の相場を眺めていた。そこへあれはやってきた。2011年3月11日。東日本大震災である。



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