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ぼくの株の話 part6

「来年からは謙虚に年収1億でいいかな・・・・」

某トレーダーより

前回


〇地震・放射線・二重の極み

 東日本大震災の時のことを正確に記憶しているわけではないけど、14時50分くらいにニュース速報でとんでもない地震が起こったということを認識したように思う(正確には日本近海の牡鹿半島沖で2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震)。大津波が起こって車や建築物が流されていく様は現実感の薄いものだったし、ましてやその中に人が含まれているというのは想像しにくいものだった。そう自分には想像力が欠如していた。昔から想像力は大切ですよ見たいなことを言われてきた気もするが、そもそも想像力はどうやって鍛えればいいのか、とりあえず僕が想像していたことはお金を増やして、一刻も早くこの懲役刑を終わらせることだけだった。

 もし当時の僕が今のレベルに到達していればやばい地震がおきて大津波が起こったと聞いた瞬間に即座にトレードしないといけないことがいくつも思い浮かぶが、その時はただ茫然と何度も流されている地震の映像を眺めることしかできなかった。その日は金曜日で、結局株はすべて持ちっぱなしで土日に突入することになった。大変な規模の地震だということはわかったが、正直大して危機感は持っていなかった。週明けくらいはもしかしたら下がるかもしれないが、なんなら財政出動で上がるのではなどと考えてその日の仕事をこなしていた。ちなみにこの日の日経平均株価は東日本大震災が発生した直後から売り注文が殺到し、10分あまりで100円以上下げ幅が拡大。終値は前日比179円安の1万0254円と約1カ月半ぶりの水準で取引を終えた。今の株価水準だと179円ってほとんど下げてないじゃんという感じに思えるが当時は1万円程度でまあまあ下げたかなとい言う感じだった。

 ようやくその日の仕事が終わり、〇chをチェックしながら帰路に就くとどうやら原発が故障して電力が大変らしいみたいなことが書いてあった。実際東京方面に出張していた上司は帰れなくなったみたいで明日は休むと連絡があった。東電ダメやんけ、年金代わりに買ってた東電、おじいちゃんたちの自分年金東電さよなら。僕は東電を持っていなかったし、若干の不安はあったもののそんな書き込みを〇chにするくらいの余裕はあった。土日は今回起きた地震のすさまじさを報じるニュースであふれていたが、遠く離れていた僕はそれでもやはり現実感を感じられぬまま、ほとんどいつも通りの土日を過ごして週明けを迎えることとなった。

 月曜日が始まると相場は売られて始まった。終値は前週末比633円安9620円と1万円の大台を割り込んだ。正直いくら何でも売られすぎでしょという感じでほしいと思っていた株をちょいちょいつまんでしまったがこれがだめだった。更に翌日の火曜日に原発がメルトダウンして放射能が漏れまくっているみたいな話が聞こえてきて、管直人首相の記者会見みたいなので原発マジヤバイみたいな話をすると午後から狂ったような売りが降ってきてサーキットブレイカーが発動するありさまとなってしまった。先物とかオプションは板そのものがなかった。どういうこと?僕たちは飛べるのか?売りたいものが売れないのは資本主義の終焉ではないのか?とにかくポジパンだった僕のPFは一瞬のうちに超マイナスになってしまったが、さすがに日中に何度もトイレを行ったり来たりするのはいくら下痢ですと主張したところで怪しすぎるため思うようにトレードができないまま殆どを持ち越す羽目になってしまった。結局その日の終値は1015円安の8605円。下落率は1987年のブラックマンデー、2008年のリーマン・ショック後に次ぐ過去3番目というすさまじい相場だった。僕は本当に下痢になった。僕のスーパーいけてると思っていたPFもまさに下痢コレクションになっていた。世間は原発が吹っ飛んでいて東京まで汚染されるかもしれないと大騒ぎだったが、僕は騒ぐ元気もなかった。僕の心は二重の極みによって完全に壊れていた。

〇無の境地・ラッキー太郎

 しかし僕は株を売らなかった。それは確固とした信念があって持ち続けたわけではなかった。正直どうしていいかわからなかったという方が強かったように思うが、それでもあまりにも安い値段で株を売るという選択肢が正しいとは思えず思考を停止してしまった。気分は宇宙で石となって浮かぶ〇ーズ様である。だが僕はカー〇様と違って戻ってきた。いや戻ってきたのは僕ではなく僕のお金だ。お帰り僕の福沢諭吉。日本というか東京終わったという論調をよそに株価は急激なリバウンドをし始めて月末には1万円近くまで戻ってきた。僕は株を売って旅に出ることにした。もう精神が持たないと思ったからだ。これはただただラッキーだった。ラッキー太郎だった。この時僕は世の中で一番必要なステータスは運だと確信した。その後数か月するとまたみるみる相場は下げ始め、日経平均は8000円台まで下げていった。これを横目で見ていた僕はここぞとばかりに株を買いまくった。結局2011年もプラスで終わることとなった。ラッキーだった。ただただラッキーだった。

*余談ではあるが今でこそマザーズは個人に人気のカテゴリーだが、当時はうんこの集まりみたいなイメージしかなかった。基本的にこの間に取引しているのは東証一部の綺麗な株ばかりでマザーズ銘柄など買おうとすら思わなかった。なぜなら僕はまっとうな人間でうんこを食べる趣味はないからだ。でも世の中好んで食糞する人種が沢山いることを後で知ることになる。


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