nikki20220821→

近況報告のようなつまらない文章

近頃は本当に健康が良くなかった。なんとなくではあるがその理由についての縁故的な理由を僕は感じていて(これは感性の敏感な人、今までの分・文を読んでいる人なら予想できるのかもしれない)、それとは別の現実的な理由ばかりを書こうとしている。現実的なこと以外は容易にウェットになるし、仕方がないでしょう。どうせ放っておけば書くしね。


なんでもかんでも舐めてかかっちゃいけない。今更ながら。自重とか謙虚とか、自意識の前に他人の尊厳を卓越させることは非常に大切だし、こんなのを自然になすことができれば、それはもはや才能だろうとも思う(そういう後輩が一人明確に思いつく)(前にもそんな後輩が出てきたが、別に他意はなく話題の一つと思ってもらえたらいい)











顔剃りを失敗した、爪がなくなった、口調が速くなった、声がデカくなった、頭が回らなかった、動悸がした、最近はウェットな歌ばかり。舌の病気になった。親知らずが悪化した。明らかに内臓がおかしい。

会計を出してもらった時、俺はちゃんとお礼を言っているだろうか?

歌がマシになってきてるのは、詩の言葉が増えたから。






結局昔の人たち、具体的に言うと若い先輩たちがその幼さを拭きれないのは、上位互換や挑戦に臨む機会が少ないからだと思う。当然のことなんだけど、人生で自分は一番じゃない。自分ごときの上位互換なんて幾らでも存在する。無限に。自分より顔が良い人、お金をもってる人、酒が飲める人、歌が上手い人、絵が描ける人、、、
いったいどこまで数えればいい? どこまで競えばいい。本当にくだらない。

そしてもっと根本的な話として、1年余りも歌会に顔を見せなかった先輩が、あるいはたとえば今年に入学して僕と彼の関係性の観測の日も浅い後輩が、僕からjへの接し方を見て「失礼だ!」と主張するのは確実にズレてないか?(具体→抽象、帰納:自分についてよく知らない他人,実態を詳しく知らない物事について踏み入るのは軽率ないし失礼→自分についてよく知らない他人が,踏み入るのは失礼況や軽率)
それらの僕らに関係性の遠い他人は、我々の何を知っているのだろう? それはまあ逆もそうなんだが。















海街の昼間は静かだ。人の声ひとつない。ここに暮らしては迷いようもなく孤独だろう。
一日中落ち着いて何もやらないのは大事。何もしない自由さは怖いけど、それを抱きつづける。そうして何かを考える。深いところまで。
こんな田舎に人がどうやって住んでいるのだろう、つくづくそう思った。見渡す限りは家、大垣行きの快速に流れてゆく街並みに、誰も使わなさそうな公園、決まって静かな畑。そうした景色の中でとりわけ気をひくのは、不思議な形や魅力的な色をした少し古いアパートだ(どんな人が住んでいるのだろう、年齢は?仕事は?家族背景は? 小学生の時くらいからこういう妄想衝動をもっている。ほらそこにはショートヘアを靡かせた子が住んでいて、あるいは無口な中年が頬をかく。可能性は無限だ。考えれば考えるほど面白く途方もなく、自分がどんどんと希薄になっていく。遠のいていく。



この車窓から眺めるひらけた世界に、自分がどの一点でもっても接続し ない、そしてそれが自分の未来についての消極的な選択によるものという事実が憂鬱に陥れてやまない。




あなたを支える自己肯定は、もしかして不自由なことに縛られているという自覚か、面倒な思いをしているという自責か。取り立てた技能や特別には思えないが、だからといって今あなたがそれをしているという事実は僕には動かせない。











角川U25もあった。作品と選評読みました? センスとは。
はっきり言って、がっかりです。冷静に考えてじいちゃんばあちゃん。(もうそろそろ)瑞々しい感性なんてあるはずもない。角川。。
審査員に短歌がウケたとして、嬉しいのかな。そして逆に、天狗になる責任を取れるのかな、然るべき人たちは。
驚くほど商業出版は賞を与え得。













牧水短歌甲子園?もありましたね。ちょうど上終歌会と同じ日、同じ時間帯にやっていて、歌会が暇すぎてちょっと見てました。高校生の歌と評は年齢からして一向に構わないのですが、審査員の評。そもそも人選。。
全体としてガッカリでした。Iも好きだったんだけど、まさかあんな旧態依然調とは。構わないけど、それにしても歌を詠んで高校生と、そんでそれを真面目にどうする審査員。
まさに短歌を金にする権化。

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