デンベレの言葉が差別かどうかをなぜ考えるのか

バルセロナの選手の、日本遠征時ビデオ流出の件。

これについて方々からの意見をいくつか見た結果、ポリコレがマジで狂ってんなと思うのは、あれが差別発言かどうかばかりににフォーカスしてる点。そもそもホテルのスタッフに通じないと思ってバカにするようなこと言ってた時点で全然アウトだよね?差別じゃなきゃセーフみたいなのおかしくない?差別センサーばっか働かせてるからそんなとんちんかんな議論に走るし、「私は誰にでもああなんです」みたいな言い訳になってない言い訳が本人から出てくる。

赤ドラありかなしかすげえ言い合ってるけど、それ乗らなくても数え役満でお前ハコだよね?みたいな。

考えてみてほしいのだが、フランス国内で道行く他人に「うわっお前ブッサイクだな!」って笑いながら言ってるビデオだったら問題ないのかな?単に日本人に対する民族差別かもしれないゾーンを踏んだからコナミも楽天も怒ったのかな?それがポリコレが執行されて素晴らしい世の中なのかな?

ま、あれが差別かと聞かれたらバリバリ差別だけどね。ひろゆきも辻仁成も言葉尻とらえて誤訳だの只の悪口だの言ってるけど、言葉が通じない相手をわからないと思って罵倒するのめちゃくちゃな侮辱ですよ。状況によって変わるからポリコレセンサーに採用されてないだけで完全にアウトでしょ。
「相手が日本人だからフランス語わからないだろう、だからフランス語で悪口言ってやろ」って相手の民族を直接悪く言うのに比べて罪が軽くなる要因ある?明らかに言語という見えない壁の向こうから石投げる行為で、民族差別がふさわしくないなら言語的差別とでも呼べばいい。

ここで考えるべきは、ああいった程度の低いことを平気でやる人間でもBLM運動に乗っておけば反差別みたいなツラができるし、逆に直接差別用語言わなければセーフだと思われてる。これがポリコレの歪み。使いたい奴が使いたいように都合よく使ってるから、本来の意義なんか行方不明になってる。
「ポリコレ棒で叩かれた人は退場しなければならない」という雑なルールでやってるからこんなアホくさいことになる。黒塗りで黒人の仮装をすることがなぜ悪いか、説明できる人がほとんどいない状況でルールだけが生きてる。なぜならこの棒があれば誰でも他人を叩けるから。

話が逸れたが、ともかく誤訳かどうかなんか関係ないのだ。彼らの行為は市場に差別的であり、差別かどうかを差し引いても糾弾されるべき行為だ。それだけのことを結論付けるのにフランス語の専門家は必要ない。

とは言え「差別かどうか」に慎重になるのはある程度理解できて、それは日本人が差別される例が目立たないからだ。これまで多くの日本人は幸いにも差別問題の当事者として扱われる事例を知らずに済んだ。(だから考えなしに一見正義であるように思えるBLMとかポリコレとかに乗っかっちゃうんだけどね)それが今回舞台に上がるうえで、正しい被害者としての立ち居振る舞いを決めかねているのだろう。客観的には差別じゃないのに『差別だー!』と吹き上がることをとても恥ずかしいことだと考え、恐れるあまり論点をポリコレに絞ることで「世界的に被害者として認めてもらえるかどうか」を見極めているのだ。

でもね、やっぱり差別に関わることを直接特定の言葉を言ったかどうかみたいな簡単な線引きで決めてたら、いつか戦争になってしまうと思うんです。みんなでポリコレ、もう一回考えてみませんか。



追記。

この件に関する他者のnoteをいくつか読んでみた。


本当に訳がわからないのは、フランス文化に詳しいらしい日本人が「大したことじゃない」と言っていること。noteでもたくさん出てくる。「人間的には下品だけど、そういう文化だから」とか、「本当の差別はそんなもんじゃない」とか、挙げ句に過剰反応だとか島国根性だとか。そういうのって反差別の文脈で絶対言っちゃ駄目なやつじゃない?それ、いじめられっこが本気で怒ったら「いやいじりだからw 何マジになってんの、空気読めてねぇな〜」と何が違うのそれ?
私は上記の通りあれはどう考えても差別だと思うし、フランス基準ではただの罵倒だとしてフランス基準を正とする理由もない。
あと「あれくらいなら誰でもやるよね」みたいに書いてるやつ、自覚があろうとあるまいとお前は差別者だ。

お寿司を食べます。