あの地震(1)
2016年4月14日、生後6か月の長男が初めて寝返りをうった次の日、その嬉しさをポッケにいれて、
「いってくるもんねー」
とか言いながら、妻とだっこされている息子に見送られながら僕は職場へ向かった。
当時、居酒屋の店長をしていた僕はこの日もだいたい似たような毎日を過ごすもんだと思いながら、仕込みをして、掃除をして、17時にのれんを掲げた。
かなりひまな日で「売上足らなさすぎる・・もうちぃと粘ろう」と声掛けをしたそのあと、21:10ごろ、8名くらいぞろぞろと入ってきた。
「キターーーーーー!」
気持ちいい温度のおしぼりを出し、気の利いたお通しを出し、そして満を持して最初の飲み物をもっていくスタッフ。そのようすをビールサーバーのほうからニコニコ僕は見守っていた。
そのスタッフがグラスを置こうとひざをついた瞬間だった。
「ドォォン」
脳内:??・・・・?あら、身体浮き上がったぞ。
「ブヲヲヲヲw----ン」
風景:大きな一斗がめと棚のキープボトルたちが真横に飛んでった・・・。ん?電灯のかさも真横向いてるぞ?そして、なんだこの映画館で感じるような空気の揺れは。
何一つ状況が飲み込めないまま、揺れがおさまった。
客席のスタッフは両手で飲み物満載のトレーをかばい、料理長は割れた皿たちの真ん中で立ち尽くし、揚げ場の彼は太ももから下すべて170度の油をかぶっていた。僕は割れたボトルの破片に囲まれ、足は酒でびしょびしょになっていた。
「お!地震だったのか!」
ほんとうそのくらいのレベルで何が起きていたのかがわからなかった。
2秒して、頭が緊急モードに切り替わり、
「お客さんの安否確認せぇ!そして出口確保!」
「ガス元栓、しめろ!」
「ズボンの上からでいいけん、水かけ続けろ!冷やせ」
ひとしきり最初にできる対応を終わらせて、お客さんには申し訳ないがお帰り頂いた。
そこから更に冷静さを取り戻し、それぞれ家族に連絡するようスタッフに促すも、みな浮かない顔をしている。そう、回線がパンクしており、誰の電話もプーともスンとも言わなかった。もちろん僕もそうだった。
とりあえず店の安全対策は完了したので、スタッフに家に戻って家族の安否確認をしてくるよう指示。「無事だったら戻ってきて、やばかったらそのまま家族のもとにいるように」と伝え、火傷をおった彼を水で冷やしながら店で待った。
その間も妻に連絡するが、相変わらず電話は音一つ聞かせてくれない。嫌な状況が頭をよぎるが、ただスタッフが戻ってくるのを待つしかなかった。
実際どのくらいの時間待っていたのか覚えていない。妻に何回電話をかけただろうか。外にはサイレンが絶え間なく鳴り響く。家までは500メートルほどしかないのに確認しにいくこともできない。
「今日の昼、見送ってくれたあの笑顔にまた会えるんだろうか」
祈るしかなかった。
それからさらにどれくらい経ったあとかわからないが、ひとりスタッフが戻ってきた。
「大丈夫でした・・・」
僕はもう涙がこぼれそうだった。彼の家族が無事でよかったというのもそうだが、なにより
「やっと会いにいける」
と思ったからだ。
火傷の彼をもどってきたスタッフに託した。
となりのラーメン屋の兄ちゃんからなかばひったくるようにバイクを借り、生きて待っているのか、それともそうでないのかわからない家族のもとへとアクセルを捻った。
つづく
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