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シーライオニングとロジカル・ハラスメント。ロジハラ=ただの批判。ロジックが分からなければ正義も分からない。

ここ数日、フェミ界隈をにぎわせている「シーライオニング」なる意味不明な造語。シーライオンとはアシカのことで、アシカのようにしつこく質問をぶつけてくるハラスメントのことを言うそうです。ってなんのこっちゃ。アシカは人間に質問しないし、そもそも言葉を話すことさえできません。

「シーライオニング」という単語を聞いて直感的にも理論的にもその行為をイメージできないのですから、造語としてはかなり駄作な部類に入ると思います。よって、おそらく、この造語の寿命は長くないでしょう。

さて、誰が言い出したか知りませんが「ロジカル・ハラスメント」という造語もあるようです。

ロジカルハラスメントは「相手の気持ちを考えずに、論理的に正しいことを言い、相手の気分を害する行為」と定義できます。ロジハラが生まれるのは、相手に対する思いやりが欠けているためです。

論理的に正しいことを言って相手の気分を害する行為って、要するにただの批判ですよね。誰だって批判されたら気分を害します。もちろん、「批判は糧である」と考えて歓迎する人もいると思いますが、これは理性で感情を打ち消しているだけで合って、決してマゾヒストではないのです。

そして、私も以前指摘したように、批判は時として誹謗中傷以上に相手を苦しめることもあります。

ですので、これをハラスメントと受け取る人がいるというのは、分からなくもないです。

ですが、この言葉は、他人の正当な批判の権利を奪う可能性があり、非常に危うい言葉です。

例えば「安倍政権はモリカケ疑惑についてちゃんと説明しろ」という主張を「安倍晋三さんへのロジハラです」と言われたら、安倍政権に批判的なみなさんはどうします?どうせ「いや政権批判は別だ」などと例外を作って逃げるのでしょうが、じゃあ岡村隆史のANNの発言に対する批判はどうでしょうか?「岡村隆史へのロジハラやめろ」と言われたら岡村さんへの批判は一切できなくなりますよ。そしたら今度は「芸能人は別だ」と例外を作るのでしょうか。そしたらその次は「オタクは別だ」「オッサンは別だ」「ジャップオスは別だ」みたいな例外を作りまくって、自分たちのするロジハラは永久に正当化し続けることになるだけでしょう。

もちろん「どんな正論も相手の気持ちを考えて言うべき」というのもわからないではないですが、その相手が政治的主張をしていて、意見や立場の異なる人たちを攻撃していたり苦しめていたりする場合はまったく当てはまりません。

よく「リベラル」を名乗る人たちは「声を挙げろ」と言いますが、その言葉に、反対側にいる人達への配慮は全くありません。そして、反対側にいる人達が「声を挙げ」たとき、彼らはその声を「あーあー聞こえない」するか、あるいは「権力の犬」呼ばわりして全否定しようとします。

「リベラル」の戦術はとてもシンプルです。

①自らを弱者、被害者、マイノリティー、プロレタリアートと定義する。
②自らに反対する者を強者、権力側、加害者、マジョリティー、ブルジョアジーと定義する。
③前者は後者に配慮しなくて良いが、後者は前者に配慮しろと無限に要求し続ける。

いったい、どこがリベラルなんでしょう。共産主義者とやってることが何も違わない。

なぜロジックが分からないのに正義が分かるのだ?

正論を言われても正論で返すことができずに「ロジハラだ」などと泣き言を言うような人間は頭が弱いという意味では確かに弱者と言えるかもしれない。知的弱者とでも命名しようか。「インテリジェンス・アンダードッグ」などと英語で言えばカッコよく聞こえるかもしれません。

さて、ところで、そもそも論ですが、正義とはなんでしょう

正しい事、ですよね。

では次に、正論とはなんでしょう。

正しい事、ですよね。

なぜ正義を愛する人が、正論を忌避するのか。意味が分かりません。

正論の定義を、「論理的に正しい議論」とするならば、正義の定義は「論理的に正しい道」みたいな言葉に置き換えられるのではないかと思います。

つまり、論理的に正しくなければ正義ではないはずです。

なぜ、あの人たちは「正義」を掲げるクセに「論理」を忌避するのでしょう。

おそらく、あの人たちがそれを自覚しているかは別として、日常的に「論理的に整合性の取れない主張」を繰り返している自覚があるからなのではないでしょうか。

ポリティカル・コレクトネスはなぜ「ポリティカル・ライトネス」ではないのか

「正しい」という言葉を英語に訳すとき「right」という単語と「correct」という単語の2種類があります(他にもあるが、それはとりあえず割愛)。では、この2つの単語はどのように使い分けられているのでしょう。

要約すると、「correct」は「唯一無二の正しさ」、それに対し「right」は「いくつも正解がある中の1つ」というニュアンスのようです。

なんだか、rightのほうが寛容さが感じられませんか。

それに対してcorrectは偏狭で排他的な印象を受けます。

「political correctness」が偏狭で排他的・独善的なのは、まさに「名は体を表す」と言ったところでしょうか。

ところで、英語で右翼のことは「right wing」と言います。そのまんまですね(笑)。

rightには「右」という意味のほかに「正しい」という意味もあります。なので、「right wing」を「右翼」ではなく「正翼」と訳しても間違いではないことになります。おお、なんかいいかも。でも「性欲」と間違えられそうだから、やっぱやめておこう(笑)




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