世の中はリベラル化していると思いきや、学校は昭和型管理教育に回帰しているらしい

我々が中高生くらいの頃は管理教育が社会問題化していて、その後は卒業してしまったので詳しくは知らんけど街では普通に長髪や茶髪の高校生とか見かけたし、ヤマンバギャルみたいな奇抜なファッションの子たちもいて、良し悪しはともかく学校も自由になったのかな、なんて漠然と思ってましたが、最近はまた校則が厳しくなり始めているらしいです。

そういえば最近はあまり学級崩壊という話題も聞かなくなったので、もしかしたら管理教育には学級崩壊を防ぐ効果があるのかな、と思わないでもないですが、だとしても縛りすぎはあまり良くないと私は思います。

不思議なことに、こうした理不尽な校則に対する批判の声は、我々の学生時代に比べたらあまり盛り上がってないような気がします。少子化の影響で、当事者が少ないからでしょうか。それとも学級崩壊を経験してきているからでしょうか。

学校における教師の権力は絶大で、まともな保護者は我が子の進路を左右する内申書を教師に握られているので、抗議の声を挙げるには勇気が必要です。まあ一方で、そういうのを気にしないモンスターペアレンツなんかもいたりするわけですが…。なんで世の中、丁度良いバランスのところで収まらないんだろうね。難しい問題です。

ですが、校則が教師の権力を誇示するためのツールにすぎないのであれば、たとえ学級崩壊は止められたとしても、それは教育って言えるんでしょうかね。そもそも、本当に校則で学級崩壊が止められてるのかどうか私は知りませんが…。

それで、私が不満なのは、自称リベラルとか、ジェンダーなんちゃらとか、女性の権利がどうとか、そういうことを言う人たちがこの手の問題に対してあまり強い関心を示さず、はっきり言ってしまえば「言いやすい相手にだけ声を挙げている」状況があると思うのです。

だから、これは行き過ぎなのでは?と思えるような要求、例えばファミマの「お母さん食堂」のネーミングにケチを付けたり、献血のポスターのキャラクターの胸の大きさにイチャモンを付けたりするような、そんなことして男女格差の解消に本当に効果あるのか?としか思えないような、しょうもないクレームばかり目立つ一方で、こういう学校の校則のような、時代錯誤で深刻な問題は置き去りにされる、みたいな、悪しき昭和と悪しき未来が同居したような歪な世の中になっているんじゃないか、と愚考する次第です。

これも、ひろゆきが言ってたように「馬鹿が目立っているだけ」なのかなあ。そうだと良いけど。

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