高須克哉氏は24時間365日その政治性から逃れられないのか?
私も高須氏の政治的な言動には問題が多いと感じている一人であり、Twitterアカウントがまだ生きていたころは直接苦言を呈したこともあったが、残念ながら聞き入れてもらえなかった。
だが、高須氏の言動に問題があるからといって、高須氏の政治とは無関係な医療活動やパーソナリティまで全否定するのはどうなんだろう。
かつて、社会党の土井たか子委員長は、パチンコ好きのオバちゃん、あるいはサザンオールスターズの大ファンとして、当時の人気番組「ザ・ベストテン」にもゲスト出演するほどだった。これなども、土井氏の政治性向とは無関係に、土井氏を大阪の気さくなオバチャンというキャラクターで売り込む社会党の戦略にTBSが利用されていたか、あるいは加担していた、と言えなくもない。
もちろん、その時点では土井氏が拉致問題で被害者家族に冷淡な対応を取っていたとか、北朝鮮の関与そのものを否定していたとか、そんな事実は誰も知らなかったので、やむを得ないと言えるかもしれないが、しかし、1989年の社会党の躍進(と自民党の大敗)に影響がなかった、とまでは言えないと思う。
また、鈴木宗男氏も、有罪判決を受けて議員失職した後、バラエティー番組などに出演して、高齢にもかかわらず体を張ったゲームに参加して、その体力を見せつけていた。これも有罪判決による悪いイメージを払拭する戦略に利用されたか、あるいは加担したと言えなくもない。
それらと比べて高須氏はどうなのかというと、まず高須氏は政治活動には熱心とはいえ、政治家ではない。つまり公人ではない。そして、高須氏の影響力は、もちろん小さくはないが、土井氏や鈴木宗男氏に比べたら、取るに足らないレベルだと、私は感じている。一方で、高須氏の言動は、少なくとも部分的には言論の自由を逸脱したもの、容認できないものもある。とはいえ、それをもって彼の人間性を全否定するのも、リベラルな価値観とは矛盾するのではないのだろうか。もっとも、影響力云々言い出したら柿生さんの影響力も失礼ならが高須・西原両氏に比べたらずいぶん劣ると思うので、誹謗中傷にならない限りどんな批判をしたって構わないということになると思うが、「誰もが自由に政治を語ることができる世の中」を期待するのであれば、あまり他人の思想や言論を過剰に取り締まらないほうが良いのではないかと思う。
もちろん、高須氏の「大村知事リコール署名運動」は、ただの言論ではなく、具体的な行動を伴っているので、それに対しては何らかの責任やけじめをつけてもらいたい。そもそも私はこのリコール運動に対しては気持ち悪いさを感じていて距離を取ってきた。あいちトリエンナーレで「表現の不自由展」が開催されたことは残念であり、その指揮を執った津田大介監督を任命した大村知事にも一定の責任があるというのは分かる。またリコールは有権者の権利なので、リコール運動そのものを大声で批判することも私は避けてきたが、正直、リコール理由があまりにも弱すぎるし、また偏執的だと思っていた。また、このような形のキャンセルカルチャーは、左派にも利用されやすいので安易に使うべきではないとも考えていた。リコール運動とは関係ないが、高須氏は金に物を言わせて安易に訴訟を乱発しすぎだと思う。
訴訟と言えば、最近、竹田恒泰氏が山崎雅弘氏を名誉棄損で訴えて敗訴したらしいが、今度は竹田氏も津田氏に名誉毀損で訴えられている。津田氏の起こした訴訟に対しては「何が表現の不自由展だ、おまえは言ってることとやってることが正反対じゃないか」と言ってやりたいが、竹田氏も山崎氏相手にしょうもない訴訟を起こしてるのだから人のことは言えない。こういう訴訟を安易に起こす人は、右だろうが左だろうが関係なく、言論弾圧勢力なので要注意である。
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