日本でリベラルが支持を集めるためにはどうすれば良いのか

さっきの記事↓の続きなのだが、タイトルの論点について書き忘れたので追記。

結論から言うと、リベラルは既に十分すぎるほど支持を集めている。

リベラルというのは、個人主義と言い換えることもできると思う。個人主義者は、共同体に対して責任を負いたくないし、負わない。

果たして、共同体に対して責任を負わない人たちに政権を委ねたいと思う人がいるだろうか?いないよね。

今の日本のリベラルには「日本を守る」という意識と覚悟が致命的に欠落している。これは野党だけではなく与党にもそういう人が大勢いる。だから隣国から物理的あるいは精神的に侵略を受けていても、彼らはそれを嬉々として受け入れ、あるいは迎合し、あるいは黙殺して、なんなら日本という共同体がぶっ壊れるのを楽しんでる向きすらある。彼らは、日本という共同体が弱体化すれば個人の自由度が増すと単純に考えているからそのような言動が取れるわけだが、実際にはその逆で、日本という共同体が弱体化すれば別の共同体の支配化に組み込まれ、より厳しい統制下に置かれることを彼らは理解していないのだ。

1955年体制では、社会党がアメリカの悪口を言って、自民党が、国内ではまぁまぁまぁとそれを宥めつつ、アメリカに対しては「野党や国民が納得しませんので」と言って譲歩を引き出していた。それが野党の役割だった。しかし、中国や韓国に対してはその役割が全く機能していない。むしろ野党側がまぁまぁまぁと宥める役割に回り、いや宥めてくれるならまだしも「隣国を非難するのは差別だ、ヘイトスピーチだ」と居丈高に振舞い、自民党も一部の国粋主義的なアホ議員を除けば、そうした声に迎合するだけの無能しかいない。

本来、国粋主義的なアホを演じるのは野党の役割だ。

その役割を、野党が過去30年間ずっと積極的に放棄し続けてきたのだから、仮にいまさらアホを演じてみても誰も信用しないだろう。

そして、その代わりに野党が主張してきたことが「多様性」や「マイノリティー擁護」だ。私は多様性やマイノリティー擁護を否定するつもりはない。完全に均一化された社会ではイノベーションも起きないし却って誰もが息苦しいだけだ。マイノリティーにも優しい社会は、本来だれにとっても優しい社会のはずだと思う。

しかし、BLM運動が「黒人の命大切」ではなく「黒人の命大切」に変わってしまったときから、運動の質が変化してしまったように、「マイノリティー重視」が「マジョリティー軽視」に変わることは、そんなに珍しいことではない。4年前にトランプ政権が生まれたのも、そんな、軽視されたサイレントマジョリティーの怒りが爆発した結果なのではないかと思う。

また、前の稿でも書いたように、行き過ぎた多様性重視は共同体破壊=リバタリアニズムになる。そうなれば結局、弱者は切り捨てられるのだ。

ジェンダー平等についても書いておく。

ジェンダー平等主義者は往々にして個人主義者だと思う。一方で、管理職や政治家というのは、企業や国といった共同体を束ねる立場であり、共同体に対して責任を負う立場だ。

つまり、ジェンダー平等主義者が管理職や政治家といった役職と相性が悪いのは明らかなのだ。

それが分かっているのかどうか知らないが、著名なジェンダー平等主義者で政治家になろうと手を上げる人は極めて少ない。たとえ政治家になっても田嶋陽子さん(元参議院議員)のように、あっさり職を放り投げてしまう。それなのに、国会議員の数を男女同数にしろとか無茶を言う。男女同数にしたければまず君たちが率先して身銭を切って選挙に出馬しろ。

要するに、リベラリズムは既に十分に支持されているからこそ、誰もリベラリストに政権を委ねたいと思わないし、そもそもリベラリストは政治家になろうとしないのだ。



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