女は性的関心を理由に殴られたり犯されたりするから、どれだけ警戒しても差別にはならない

「警戒くらい」と言うけど、過剰な警戒は差別と言われてもしかたないのではないでしょうか。

さて、私たちはこういうことがあったからといって、無制限に在日コリアンを警戒して良いのでしょうか。それは差別となるのではないでしょうか。

人間は誰しもが潜在的に他人を差別する本能を持っています。そしてそれは、相手に対する無知や猜疑心によって顕在化しやすいのです。警戒するということは、言い換えれば猜疑するということになりますので、まさに差別とは隣り合わせなのです。

もちろん、だからといって全く警戒するな、というつもりはありません。警戒するに一定の合理性があるならば、それは正当な警戒だと言えるでしょう。

では、無知や猜疑による差別と、合理的な警戒の境界線は、どこに引けば良いでしょうか。

まず第一に、全くの赤の他人を殴ったり犯したりするケースは極めてまれだということです。事件の大半は、家族、友人、知人など交友の範囲内で行われています。有名人であれば「自分は相手を知らないが相手は自分を知っている」ということが多いので、警戒の水準を上げる必要があると思いますが、一般人がそこまで警戒するのは合理的ではないです。

次に、物理的に殴ったり犯したりすることができるのはオフラインだけです。オンラインではせいぜい言葉によるセクハラくらいまでしかできません。ただしオフラインで交友関係がある場合には、オンラインでプライバシー情報を許可なく拡散されたり、リベンジポルノされたりする危険性はありますが。つまり、オンラインで全く交友のない、顔も名前も知らない相手を警戒する合理性はどこにもなく、もしもセクハラまがいの攻撃を受けたら、単に相手をブロックすれば済む話です。

さらに言うと、知人でもなく、オンラインでも全く関わりもなく、自分に対して性的関心を向けてすらいないアカウントに対して、さしたる根拠もなく「性犯罪予備軍」なるレッテルを貼って、予防拘禁的な排斥運動を起こすのは、これはもう差別以外のなにものでもないです。

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これが、差別じゃなくて何なのでしょう。女性が「男性から殴られたり犯されたりすることから自衛する目的」からは大きくかけ離れてしまっていますよね。「間違った警戒をすること」は差別の一形態である、と定義しても良いのではないかと思います。


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