社民党の支持者はどこへ消えた?

面白い記事を見つけたので紹介します。

おそらく思想的には私とは相容れないであろう方が書かれた社民党史ですが、少なくとも橋本龍太郎政権までの部分に関しては非常に公平かつ客観的に書かれていると思います。言い換えれば、このあたりの歴史的評価はだいたい固まりつつあるってことでしょうかね。

ちなみに2000年以降については拙稿も併せてご覧いただければ幸いです。

ところで、フェミイさんの記事の中にこのような記述がある。

村山内閣では自民党が実質的なヘゲモニーを握るなか、日米安保の追認、自衛隊違憲論の放棄、原発推進政策の承認など社会党の結党理念を次々と放棄していったのだ。その結果社会党の理念に賛同していた旧来の支持者は離れ、更に衰退が加速したのだ。

これは、多くの論客が異口同音に指摘していることだ。

では、日米安保の追認、自衛隊違憲論の放棄、原発推進政策の承認を理由に社民党を見限った人たちは、どこへ流れたのだろうか?

現在、日米安保破棄を唱え、自衛隊を違憲だと主張し、原発にも反対しているのは、日本共産党くらいなものである。

じゃあ、社民党を見限った彼らは、政策の合致する共産党に流れたのか?

少しは流れたような気もするが、共産党の議席を大きく押し上げるほどではない。

結局、彼らは今でも本音を押し殺しながら、民主党や立憲民主党、れいわ新選組などを、支持しては見限って、を繰り返しているだけのように思える。そして時々共産党にも浮気するが、本気で共産党を押すつもりはない。こんなところではなかろうか。

社民党(正確には日本社会党)が自衛隊違憲論を放棄してから26年が経つので、当時の支持者の多くはすでに物故していることだろうと思う。しかし、まだまだ元気な人も相当大勢いるはずであり、つまり、今でも「日米安保反対、自衛隊違憲」という考えの人がめちゃくちゃ大勢いる、と考えざるを得ない。

しかし、彼らは世間体を気にしてそれを大声で叫ぶことはあまりない。つまり、今どき日米安保に反対するのは恥ずかしいことだし、非武装中立を唱えることも恥ずかしいことなのだ

なので、日米安保に反対はしてないという体で沖縄の米軍基地問題に首を突っ込んでくるし、非武装中立は主張していないという体でオスプレイ反対イージスアショア反対F-35購入反対と言うのだ。つまり、言ってることとやってることが一致しない。

憲法改正についてもそうだ。改憲そのものには理解のありそうな振りをしながら「安倍政権下での改憲には反対」という意味不明な屁理屈を捏ねてくる。

ところで、もし仮に社民党が「日米安保破棄、自衛隊解体、非武装中立」という主張を堅持し続けていたら、こんにちの壊滅状態はなかったのか、というと、私にはそうは思えない。

社民党、その前進の社会党は、これらの主張を捨てたから支持が離れたのではなく、その前から凋落傾向にあった。1989年に「おたかさんブーム、マドンナ旋風」と「消費税、リクルート」の猛烈な追い風を受けて圧勝したが、その後は選挙の度に票と議席を減らしていた。1992年、PKO法案に反対して牛歩戦術を行ったことに対する批判も殺到した。

そして1996年に民主党が結成されたとき、社会党の議員のほぼ半数が民主党に移籍した。言うまでもない話だが、民主党は日米安保破棄も自衛隊違憲説も非武装中立も唱えていなかった。もしも社民党が凋落した原因がこれらの主張を破棄したことであったならば、社民党支持者の多くは民主党に流れることなどなかったはずだ。しかし現実には、民主党は躍進し、社民党は凋落した。

だから、社民党が凋落したのは、これらの主張を捨てたからだというのは事実ではないと私は思う。これらの主張を堅持し続けることが難しかったことは当時の支持者が一番よく分かってたはずだ。だから本音を隠して民主党に鞍替えしたのだ。事実、初期の民主党は所属議員の7割くらいが元社会党だった。民主党に移籍した元社会党議員はほとんど生き残り、社民党に残った議員はさらに議席が半減した。

もし、社民党の支持率低下の理由が、これらの主張の破棄にあったのならば、社民党の議員は民主党ではなく「新社会党」にでも移籍したはずだ。しかし彼らは(社民党から見て)保守寄りの政党に移籍して、生き残った。

こういうエビデンスがあるのだから「日米安保の追認、自衛隊違憲論の放棄、原発推進政策の承認」のせいで社民党の支持者が離れたというのは、やはり間違ってると私は思います。

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