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アートと表現と法と建築 その1

最近バンクシー展やオラファーエリアソン展など一般の人にもわかりやすい良い現代アート展が行われている。そのアートをめぐる問題と建築について近年思っていたことをまとめてみた。

アートと法

日本ではバンクシーは礼賛されている。しかし、ほとんどの国は法治国家なので落書きをしたら捕まる。バンクシ―もそれを覚悟していると思う。例外はあってはならない。日本人としても奈良美智はニューヨークで落書きをして逮捕されかけている。
表現の自由は大事だけど、法治国家という枠内で生きている限り、その責任を負わなくてはならない。ネズミの絵が見つかったときに嬉しそうな顔をしていた小池氏に違和感を感じた。

でもアーティストには法を犯してでも表現したいことがあるべきだ。
法は完全ではないし、法を超えてでも成し遂げなくてはいけないことがある。
艾未未はアートを武器に中国の法と戦い続けていた。

バンクシーは日本で現行犯逮捕されて、少し議論になってほしいかと。

日本においてもう一つの法とアートの問題で、ろくでなし子氏が女性器をかたどって、三次元データを配布したことで逮捕されたという事件があった。被害者のいない問題なので法令上違和感が残る。そして、ダビデ像にはモザイクがないのは良いのか。性的なものと表現の差、道徳と法の違いをきちんと判断出来ているのか。
逆にダビデ像にモザイク入れたら卑猥に見える気がする。そもそも海外サイトの見れる現代に倫理モザイクってなんであるのか、風営法上売春が違法なのに、一部風俗での性交が事実上認められているなど、性的なものに対してオジサンの道徳感が法に入り込んでしまっていることは問題がある。
もちろんある程度、性的表現にはゾーニングが必要だが。

建築と法

建築家は法を破ったら今後建築家として活動しにくいから、法を超えることは難しい。
ましてや人命にかかわることもある。姉歯事件の前は建築に関する法律はかなり緩かった。完了検査を受けないのが当たり前、建築学会賞を受けた作品の中にも違法建築はあった。もちろん当時は許されてきたが、今では許されない。たまに雑誌で法令違反の建築も見られるが、ネットでさらされたり、雑誌に苦情がきたりと、建築家として法令違反のリスクは高くなっている。

建築基準法はグレーゾーンだったり、曖昧な表現によってわかりにくいと言われているが、それは法令に縛られ過ぎることを避けるためだろう。法令によっては、本当にこの建物の用途に対して必要かどうかわからないものもある。だからこそ、自治体や申請機関との協議で出来ることが変えられるグレーゾーンがあるのだが、拡大解釈しやすい消防法やその他の関連法規の方に縛られることもある。以前自然公園法で一年に近く、担当者によってデザインを変更させられたことにはうんざりした。

そのように法に縛られながらも、現在の建築家には高い倫理観も問われる時代となった。
クライアントに過剰な安心と安全に縛られることも多々ある。子供たちが怪我のないように、過剰に柵を設けなくてはならなくなっている。自動ドアは挟まれないように、手前に柵を設けさせられることが多くなった。ただ今後はその柵に挟まる子供も出てくるだろう。そうなると回転ドアのように、そのうち自動ドアは禁止されるかもしれない。

また公共の設計では前例がない設計はリスクが高いので、認められないことが多い。法令のグレーゾーンは自治体によってはすべて黒になるときもある。
そもそも公共は過去に実績がないと公共建築に参加出来なかったり、メンテナンス性や環境性能のコストが大きくなることで、建築のデザインにかけられるお金は少なくなってきてるなど、建築デザインにおける状況は厳しくなってきている。

色々と縛られることが多くなっているが、その中でも理解あるクライアントや自治体はまだまだいるので、良い人や地域に恵まれることも重要であると感じる。


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