伝統とはなんだろうか

堀口捨己建築論集も再販され、もう一度堀口捨巳を見直すことになった。
建築家の中で堀口ほど「新しい」建築(当時は表現主義→分離派→モダニズム)と「伝統」について考えた人はいないだろう。

近年、選択的夫婦別姓問題などに反対する、いわゆる「保守」的な人が、伝統という概念を勘違いしていることが多いと感じてしまう。自分の活動拠点の一つである滋賀県長浜市も曳山祭りという伝統のあるまちであり、伝統によって変えられないことも多々あるようだ。

日本の「伝統」とは実は常に変わり続けている。
現代人にとっての「伝統」はほとんどが明治時代になって確定されたものだ。そもそも天皇家自体も明治時代になって整備されるまでは、神事に仏式が含まれていることもあった。伝統的家族像も家父長制は明治時代になってきちんと整備された。
磯崎新氏が指摘するように、日本の伝統建築である「伊勢神宮」にオリジナルなど存在しない。最初に作られた時とは大きく形も変わっている。

藤岡洋保氏の論考「「日本的なもの」をめぐる思索」において、(伝統の)共通項は「解釈」によって変わりうるし、「解釈」が承認されても、それが「真理」であるという保証はない。過去の建物に最大限の敬意を払ったとしても、「解釈」に過ぎず、再現したものは「創造」にならざるを得ない、また、既存のものに新しい「解釈」を施すことから新しい世界が展開していく、という指摘は村野藤吾や谷口吉郎など、戦後に活躍した建築家たちの共通した設計思想であるであろう。

そして堀口捨巳は「帝冠様式」は決して日本的なものではないと否定した中で、そもそも日本の発展は

「欧米の科学文化を十分に取り入れて我物として思う存分に自分の国力に利用し得る世界性を帯び」

日本の現代記念物の様式について 現代建築1939年6月号

ていたからであって、日本の括弧つき「伝統」が支えたわけではない。日本のGDPは大正時代には当時の先進国となっており、戦後世界第二位の経済大国となったのは、単純に大正時代から人口が2倍に増えたからだ。
要するに明治期になって、新しいものを受け入れて変わったから日本が成長したっていうことだ。
伝統は常に変わり続ける。そして「伝統」を学びながら新しいことを「創造」することでしか、進化はない。
伝統を変えないことはただの「老い」である。


そんなことを「伝統」を徹底的に学んで「創造」した堀口捨巳の論集はそんなことを思いかえさえてくれる。

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