もしもに備える
もしもに備えて・・・と言われて思い浮かぶものとしてイソップ寓話の「アリとキリギリス」がある。結末には複数のバージョンが存在するが、基本的な流れは「食料のたくさんある夏でも、冬に備えて備蓄しましょう」である。
これが正解かといえばそうでもない。星真一氏の短編集「未来いそっぷ」にも同じような話があるが、しっかり者である主人公が、怠け者である隣人に「もしもの時」に負けてしまうのである。
もっともこれは星真一が得意とする「皮肉いっぱいのショート・ショート」であるが、実際に起こりうる話でもある。
例えばの話。あなたがエコに関心があり、脱原発派であったとする。自宅の屋根にソーラーパネルを敷き詰め、大型の蓄電設備も設置した。必要以上の耐震補強を行い、庭には業務用の大型貯水タンク・食料品をストックするための防災備蓄コンテナを置いた。
車も当然EVに変えた。EV車はいざとなれば2~3日分の電気の供給源になる。
当然これらにはコストがかかる。外食もせず、ブランド品もあきらめ、旅行にも行かない。家族4人が「もしも」の時に1週間生き延びるための、必要最低限の投資である。
知人・友人からは「そんな人生、たのしい?」と笑われ、近所の人からは「防災マニア」と変人扱いされた。家族からも白い目で見られた。
しかしあなたは耐えた。「もしものために・・・」と自分に言い聞かせて。
そしてその「もしも」の時が来る。マグニチュード10を越える大地震が地域を直撃し、あたり一面壊滅状態となる。しかしあなたの自宅は「必要以上の耐震補強」のおかげで完全無傷。目立った被害もなく、食器棚から皿が数枚落ちただけ。電気、ガス、水道の供給は停止しているが問題は無い。自前の設備と備蓄品だけで家族4人が1週間、節約すれば1ヶ月は生きていける。
あなたは思うであろう。「ああ、備えておいてよかった」と。「家族からも感謝されるに違いない」と。
しかし実際は違った。家族からはこう言われたのである。
「うちにある水や食料、全部避難所に持っていきましょうよ。スマホの充電の切れた人にはうちで充電してもらえば・・・そうだ、今からご近所を回ってとりあえずうちに避難してもらえば・・・」
困ったときはお互いさま。助け合うのは当たり前だが、本当に「アリ」が「キリギリス」を助ける必要があるのだろうか?「アリ」に「キリギリス」を助ける権利はあるが、義務はない。「困ったときは・・・」と口にしていいのは
アリ ⇒ アリ
アリ ⇒ キリギリス
キリギリス ⇒ キリギリス
であって、「キリギリス」が「アリ」に向かって言う権利は無い。
見かねた人間が「はらペコのキリギリス」にえさを与えれば済む話ではあるが、それでは「アリ」の立場がなくなってしまう。いつしか真面目な「アリ」が「キリギリス」と化し、やがては「バッタ」も「てんとう虫」も「カブトムシ」もキリギリス化してしまう。
お気付きとは思うがここで登場した「人間」とは「政府」のことであり、「アリ」とは一生懸命がんばっている人のことである。