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うつ状態になったときのわたしの変化

こんばんは。今日は運動しっかりできました。

今日のテーマ

・自分の変わってしまったことと、
・それにどう対処したか、

という話をしたいと思います。

うつは症状が人それぞれなので、こういう人もいるんだーと参考程度に読んでもらえるとうれしいです。

1日本語が読めない書けない

これは1番こまった。

なにしろ、大学4年だったもので、卒論楽しみにしてたのに書けなくなりました。

今でこそWEBライターもやってますが、

論理は飛ぶわ、漢字がおかしいわ、意味不明な文章でした。

わたしは作文とか小論文とかで学校はサバイブしてきたので

まじで頭おかしくなっちゃった、って悲しくて。

韓国語の勉強はじめました。

日本語がわからないけど、英語は分かるんです。

話すのも聞くのも、すごく楽だという事に気づき。

じゃ、なんか新しい言語やるかとおもって

気になってた韓国語を。

お金がないので、無料のアプリとか、図書館の本とかで。

夜眠れないので、朝までずっと勉強してました。

あとは、韓国ドラマとかアメリカドラマとか字幕で。

すごく話数が長い(シーズン1−7くらいまであって、1シーズン40話くらいある)

のでずっと観てました。

家族は英語がほぼわからないので、それがちょっと大変でした。

2料理ができない

これも困りました。

主治医の判断で実家に戻っていたので、なぜか私の分は出てきませんでした。

自分の分は作っても家族にしょっちゅう食べられました😁

ポイントは、
・作り置きで料理の回数を減らす。
・味付けはパターン化
・工程は1つか2つ

です。

たとえば、ナムル。

野菜を切って、チンして、ごま油と塩。

味付け2は、味噌とみりんとごま。これで胡麻和え。

3炒めて、塩コショウ。

4茹でて、鶏ガラスープ

5茹でて、醤油と酒。(煮付けになる)

野菜や肉はあるものでなんでもできます。

4にご飯と鶏肉いれれば、サムゲタンになっておいしいですよ。

3イライラして死にたくなる

これは、私の場合、薬は効果なかったです。

何をしたかと言うと、
・ジャーナリング(日記)
・音楽
・動画鑑賞
・ネット小説(いにしえからのオタクなんで)
・ヒーリング(占いとかインナーチャイルド)
・運動
・認知の歪み調整(認知行動療法)

音楽、動画、ネット小説はとりあえず気をそらそうと思いました。

その世界観にどっぷりハマるので。

運動はうつになって3年後くらいに、祖母の運動用の自転車漕ぎがあったので、それに乗ってました。100キロカロリーとかだけど。

ジャーナリングは、紙に感情の日記をつけることをしていました。

今も時々します。

何があって、どういう気持になったのかです。

悲しいなら、自分に問いかけました。

「なぜ悲しいのか」

そうしたら、価値がないように感じるとか、寂しいとか、憎いとか、嫌だったとか、イロイロ出てきます。

それで感情をじっくり感じます。すごく痛いけど。

そしたら、ふっと感情が消える瞬間があるのです。

泣くのも怒るのも我慢しないこと。

無理はしないこと。

自分を傷つけないこと。

絶対に死なないこと。

これだけがルール。

どんな感情でも、認めて上げる必要があります。

死にたいでもいいし、私は人を傷つけたいとも思いました。

とても強いエネルギーでした。

でもそれだけ。感じていれば消えます。

すぐには無理で、何年も何年もかかったけれどね。

言われたことや出来事より、自分の感情に注意を向けます

そこに認知の歪みがあるので。

これは客観的に考える力がないとかなり難しいですが。

そこに占いを入れると、いい感じに遠くから自分を見つめる事ができます。

でもいつもうまくいくわけじゃない。

何度も失敗して、感情の嵐に飲まれて、家を飛び出したこともあるし、薬をいっぱい飲んでしまったことも2−3回あります。

リスカも小5からやってたので13年くらいかけてやめました。

生きることを諦めて、死ぬことも諦めて、どうしようもなくて。

他人のことも自分のことも諦めて。

その間に、スピリチュアルもそうだし、心理学も、精神医学も、日本語文献だけじゃなくて、英語の論文とかも軽く探して、たくさん調べました。

でもどうにもならなかった。

ヴィーガンにもなったし、アンガーマネジメントも本読んで、薬も何十種類と変えて飲みました。

でももう、一回なったら戻れません。

もう二度と学校行きながら2人の乳幼児のお世話をしたり、親の暴言や差別や依存に何年も耐えたりすることは。

家族が望む人生を生きることは。

それでいいんです。

わたしは他人の奴隷だった人生を燃やし尽くして、自分の魂と人生を取り戻さないといけなかったし、

そうするにはあまりにも穢れていました。(この言い方はちょっとアレですが。)

あまりにも頑張りすぎていました。

今でも時々、病気になっていなかったらと考えます。

海外に留学して、働いていたかもしれないし、もっといい大学にいったかもしれないし、元カレと結婚していたかもしれないし、彼女と幸せにいきていたかもしれない。

でも本当は、病気になっていなければ、私は死ぬまで祖母と父と母と妹の奴隷でした。

家族が望む大学を卒業して、家族が喜ぶところに就職して、親とニートの妹を支えるために仕送りし、イベントごとにプレゼントと感謝の言葉を送っていただろうと思います。

親が望む人と結婚し、親が喜ぶようにこどもを産んで、育てていた。

祖母を見送り、親を介護し、妹の世話をしていた。

それが生まれてきてしまった自分への罰だと思いながら。

わたしは変わりました。

自分ひとりで生きる決意をし、家族を捨て、過去も捨てて、新しい自分を探し、昔の自分ではなく、新しい自分ができることを探して、今日一日生き延びれば合格だと自分に伝えました。

病院へ行き、市役所へ行き、一人暮らしを始め、B型事業所に行き、親友に嫌われ、絶望し、グループホームに入り、副作用に耐え、SNSをやり、レイキを学び、占い師をはじめて、薬をやめて、WEBライターもはじめ、再び引っ越しをしました。

毎日いろいろあります。うつ状態ではないけど、落ち込んだり、怒ったり、泣いたり、怖くなったり、私のTwitterは等身大で発信しています。

占い師になったから、霊感があるから、うつが治ったからって幸せになれるわけじゃないです。

うつのときもそうじゃないときも、何も変わりません。

生きるっていう点で、何も変わらない。変えられない。

だから絶望してもいい。

もう諦めてもいい。

何もしなくていい。

布団の上で10年間泣き続けてもいいんです。

自分の心の声を聴いてあげてください。

魂が本当に望んでいることは、あなたが生きることのはずです。




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