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βを下げる必要はあるのか


概要

先に結論を述べますと、βを下げたからといって投資家から評価されるのは難しく、資本コストの話をしたいのであれば別のところで頑張った方が良いと思います。

また、「IRを通して資本コストを下げる」と言っている企業は情報開示体制などが未熟な企業であると自称しているようなものです。

IR活動に積極的になるのは良いことですが、そのアピールが何を意味するのかをよく考えた上で行うことをお勧めします。

なお、IR活動の評価というものは難しいものです。

βが高いからといってIR担当者を攻めるのは適切ではなく、そこまで言うのであればCEOかCFOが責任を持って直接対処すべきでしょう。

βを下げる必要はあるのか

最近、上場企業の意識が高くなってきました。

開示する資料や説明を増やしたりと自社を理解して貰うための努力に加え、上場企業として相応しい経営をしていますよというアピールのため様々な指標を持ち出し始めています。

その結果として資本コストに言及する企業が増えています。

※資本コスト:企業が事業を行うために調達した資本にかかるコスト
 →投資家が企業に対して期待するリターンとして使われることが多い
 →企業のリターン>資本コストだと偉い

日本取引所や機関投資家からの圧力により、リターンが資本コストを下回っている企業は存在そのものを否定される時代になっています。

この圧力が嫌になった企業はMBOという形で非上場への道を選びますが、自由な経営を維持したいという経営者の気持ちも分かりますので双方にとって悪くない話でしょう。


この流れ自体は素晴らしいと思いますが、一方で資本コストに対する扱いや認識は未だ企業によって異なっています。

最近よく見かけるのが「IRを通して資本コストを下げる」というアプローチであり、何をするのかと言えば「積極的なIR活動によってβ(ベータ)を下げる」という取り組みになります。

※β:日経平均などに対して特定企業の株価がどの程度変動するかを示す指標のこと
 →日経平均がこの1年で+100%だった時、A社の株価が+200%であればβは2.0

計算式などは後述しますが、βを下げることで計算上の資本コストは確かに低下します。

資本コストが下がるということは企業の評価は相対的に向上しますので、経営陣からすればやることをやってますと胸を張ってアピールできるわけです。

30秒で分かるβと企業の評価

  1. βを下げる

  2. 資本コストが下がる

  3. (業績が横ばいでも)企業の評価が改善する

  4. 経営者は頑張ってる!


本来、資本コストの話をするのであれば負債コストや加重平均資本コスト(Weighted Average Cost of Capital:WACC)の話をすべきですが、長くなるので一旦は無視します。

今回は企業がまず直面するであろうCAPMの話に絞ります。

果たしてIR活動でβを下げるというアプローチに意味はあるのでしょうか?

なお、途中で数式が出てきますが読み飛ばしても問題ありません。

CAPMが悪い

Rf:リスクフリーレート = 10年国債や短期国債などの確実に儲かるであろう資産の利回り
βi:資産iのβ = インデックス(日経平均やTOPIX)に連動する割合
E[Rm]:全資産をポートフォリオにした時の期待リターン=日経平均などのリターン

ちなみに日銀がマイナス金利を実施しているからといって、リスクフリーレートをマイナスにするとクレームを受ける確率が高まります。

面倒ですね。


簡略化すると以下の通り。

特定企業の資本コスト = 国債の利回り + β*日経平均

→資本コスト = 絶対に儲かる金利分 + 日経平均に連動する分

これが企業の資本コストであると定義しており、個別企業における資本コストは実質βによって決まることになります。

βを下げたいという経営者やIR担当者の気持ちはこのモデルから来るものです。

では肝心のβはどうやって算出するのか?

答え:好きな方法を使って下さい

βの算出に際しては下記の要素を定める必要があります。

・期間:半年、1年、2年、5年
・サンプリング間隔:日次、週次、月次
・計算式:単純に割る、単回帰分析、Bloom修正、sumベータ法、その他
・基準指標:日経平均、TOPIX、東証33業種別株価指数

βを算出する際には一般的には下記のように算出します。

β = (個別株とインデックスの共分散) / インデックスの分散

ただ上記の単純な計算式だと気に入らないと言い出す人が多く、何らかの修正を加えて再計算されることも珍しくありません。

例えば以下のような計算となります。

修正β = 0.667 * 未修正β + 0.333 * 1

※データの対象期間は2年、サンプリング期間は週次、基準指標はTOPIX


このようにβの算出には色々と配慮する余地があります。

買収や企業評価を行う際には顧客に対して慮るケースが多く存在することから、算出する人によってβが異なるというのは珍しくありません。

理論的には一意に定まるにも関わらず算出する人によって結果は一意には定まらないという不思議な要素により、資本コストや企業の評価は左右されていることになります。

意味が分かりませんね。

βを下げるという意味

本来CAPMにおけるβとは、市場リターンに対して何倍のリターンを得られるのかという目安でしかありません。

そして金融工学におけるリターンとはリスクと同義であることが話をややこしくしています。

高成長を続けている企業の株価が日経平均よりも上がるのは当然のことです。

日経平均が1年で100%上昇した時、持ち株が500%上がって文句を言う投資家はいません。

しかしCAPMなどのモデルを利用した場合にはそれがリスクとして資本コストに影響を与えます。

問題を単純化した場合、「βを下げる」というアプローチは「リターンそのものを低下させる」と言っているに等しくなります。

そのような企業の株を買いたい投資家はいるのでしょうか?


例えば著名投資家のバフェットは低βの株をレバレッジをかけて買うことで、インデックスを超えるリターンを得てきました。

しかし、一般的な投資家からすればβを下げるというアプローチを好感するのは難しいでしょう。

「単に還元施策や成長に向けた投資戦略が無いから、大したコストをかけないで済むIR活動をアピールしたいだけでは?」という目で見られてもおかしくありません。

逆にCAPMを持ち出してきて色々言ってくる投資家もいるでしょうが、上記の理由から生産的な会話に繋げるのは難しいと思います。

なお、機関投資家であればβが低いことでポートフォリオ管理上の扱いが良くなり、より多くのポジションを保有できるというメリットはあります。

ただそれは運用上の制約の話であって、資本コストとは別の話になります。

「IR活動を頑張ればβ=1に近づく」

一時期話題に上がったこの考え方ですが、果たしてβが1に近づくことでIRは仕事をしたと言えるのでしょうか。

こういった考えは恐らく現代ポートフォリオ理論(Modern Portfolio Theory: MPT)や効率的市場仮説(Efficient Market Hypothesis:EMH)から生まれたものかと思います。

こういった金融工学の理論の前提として、投資家は企業に関する情報を即時に株価に反映するとされています。

つまり、IRが適切な仕事をしているのであれば企業に関する情報は全て株価に織り込まれており、株価の変動はインデックス指標に連動する分と等しくなるという発想です。

本当でしょうか。

市場平均とは成長率などが異なる企業がインデックスと同じ株価変動をするのか?

普通に考えればその前提はありえないでしょう。

決算が発表された翌日だけ株価が大きく動き、その他の日はインデックスと同じ動きをする。

そのような株を見たことはありますか?

効率的市場仮説自体が既に時代遅れの理論であることは学術界隈でも認められていますし、「情報は株価に織り込まれるけど即時でもないし行き過ぎたりするよね」というのが現在の扱いです。


では、仮にβ=1になったとします。

日経平均ではなく、わざわざその企業の株を買う理由は何でしょうか?

上方修正などを発表すればβは1から離れるでしょう。

その時、IRは仕事をしなかったという扱いになるのでしょうか?

理論は正しくとも、前提が間違っている話だと私は認識しています。

IR活動を頑張る意味は無いのか

当然ながらIR活動には意味があり、上場企業として必要な業務の一環となります。

上記ではβを下げることについて否定的な内容を述べましたが、現状のIR活動が壊滅的な場合であれば話は別です。

業績変動のまともな説明もなく、自社に都合の良い資料の作り方をし、明らかに説明に嘘を盛り込んでいる上場企業も珍しくありません。

「今期の業績進捗は好調です」と言いながら、突然下方修正を発表するような企業の株価は当然ながら大きく変動します。

投資計画や経営方針、足元の状況などを細かく投資家に伝えていれば、決算発表や資料開示による株価の変動を小さくすることは可能です。

そして、それは確かに意味のあるアプローチです。

そういう意味では「IR活動でβを下げる」という目標を掲げている企業とは、情報開示体制などが未熟な企業であることの裏返しとも言えます。

結論

既にやることをやっていればIR活動によるβの低下はなく、資本コストが下がることもありません。

βが1に近づけば良いというわけでもありません。

皆が憧れる高成長企業であればβが高くなるのは当然です。

またIR活動の評価というものは難しく、IR担当者の努力でどうにかなる部分は経営者が思っている以上に小さいです。

IR活動とはインフラ整備のようなものであって際限なく改善できるものではなく、ある程度の水準に到達した後は現状を維持する業務だと考えて下さい。

今そこで問題が起きているのであれば、CEOかCFOが責任を持って直接対処すべきです。


おまけ

色々と述べましたが、現在の株式市場では取引の多くがマーケットメイカー、パッシブファンド、クオンツによるものです。

困ったことにクオンツは運用の簡素化のため文章解析を用いないところも多く、「2Qの特殊要因として◯◯◯を見込んでおりその旨説明資料に書いてあります」といっても通じません。

結果的にPLやBSといった定量情報だけで売買を判断されてしまうことになります。

マーケットメイカーやパッシブファンドに至ってはPLやBSすら見ません。


またアクティブファンドの流行りとして、準クオンツのような体制へと移行して調査コストを減らす動きがあります。

ETFとのコスト競争に立ち向かうため、大まかな調査をクオンツのような定量ベースに移行し、ファンドマネージャーやアナリストの1人当たりの担当社数を増やすというものになります。

実際に個別株アナリストの職も減少の一途を辿っています。

IR担当者の方は日頃裁量ファンドのマネージャーやアナリストとお話をされていると思います。

しかし、残念ながらそういった方々は昔ほど市場シェアがありません。

IR活動を頑張っていると彼らがマーケットの全てであると思えてくるかもしれませんが、意外とそうでもないという認識は持っておいた方が良いと思います。

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