noteに何を書くか

最近は、SNSやブログ等の普及によって、書きたいことを書けるようになった。

これは、「書く」ということが、とても身近になったということだろう。140文字以内で書くツイッターも、毎日積み重ねていくと結構なものになる。

ただ、私は書くことが決して得意なわけではない。

だからこそ、継続して書いている人に対しては、スゴイと思っている。

と言うのも、何かを書くとなれば、何かを捨てなければならないからだ。

それは、テレビを見る時間だったり、睡眠時間だったり、誰かと遊ぶ時間だったり、ご飯を食べる時間かもしれない。

だから、何かを書こうと思った時点で、既にそれはスゴイのである。

では、何を書くのか?

私たちは小説家でもなければ、記者でもないので、自分が思ったことを好きなように書けばいい。

それは一般的には、エッセイとか日記、随筆と呼ばれるものになると思う。

しかし、「お腹がすいた」とか「足が痛い」と書いたとしても、そんなつまらないものは誰も読んでくれないだろう。

では、SNSやブログを書く上で一番大事なことって何だろうか?

それは、「何を書くか」ではなく、「誰が書くか」だと思う。

例えば、広瀬すずが「蝉が鳴いてる」と書いたら、「19,000いいね」くらいになる。

それで、私も同じように「セミが鳴いてる」とツイートしたとしても、おそらく「100いいね」がいいところだと思う。

100 VS 19,000

これが私と広瀬すずの戦闘力の違いだ。
だから、私が一生懸命書いたノートが「100いいね」だとしたら、同じことを広瀬すずが書いたら、「19,000いいね」ということになる。

深田えいみが、「今からランニング!!」と書いたら、「5.8万いいね」

同じことを私が書いても、「200いいね」くらいにしかならないのだ。

だから、そう考えると「何を書くか」では太刀打ちできないし、そもそも重要ではないような気がしてくる。

なにも悲観しろと言っているわけではないけれど、自分が何かを書いてネットに載せたら、たくさんの人に読んでもらえるかもしれないという望みは持たない方がいいということだ。

どんなことを書くにしても、一生懸命書くことは大事だけど、書いたものが誰かに影響を与えるとは思わないようにしたい。

では、私は一体誰に向けて書いているのだろうか?

「何を書いたか」より「誰が書いたか」の方が重要だとすれば、私がどう思っているかに関心がある人は、ごく僅かと言うことになる。

だから、いきなり「私はこう思った」と書いても、読んでもらえることはない。

それでも誰かに読んで欲しいのなら、読者のターゲットを決めて書けばいいのだが、読者ターゲット、いわゆる「ペルソナ」を想定するというのは思っている以上に難しい。

例えば、「30代の女性ランナーに共感してもらえるように書こう」と思って文章を書こうとしても、私は30代の女性ランナーがどんなことに共感するのかが分からない。

これが、20代の女性ランナーや50代の男性ランナーだったとしたら、もっと分からない。

そんな状況で、分かったつもりになって文章を書くと、大抵うまくいかないものだ。

だから、ターゲットの設定というのは必要ないのだ。

読者なんか想定しなくていい。

もし、何かを誰か1人に伝えたくて書くとしても、それはメールやLINEで事足りるのだ。

では、誰に向けて書くのかと言うと、書きたいことは、ほぼ自分に向けて書けばいい。

それが、現在の自分に向けてなのか、未来の自分に向けてなのかは分からないけれど、自分が関心を持ったことを書くのだから、自分が読み手でもいいと思う。

ここで、「何を書くか」より「誰が書くか」より上位に来るのが、「なぜ書くか」だ。

私は、自分が感じたことを文字に残しておきたいと思っている。

それは、「説明できない」というのは「分かっていない」と同義だと思うのと、伝えることによって、より理解が深まると思うからだ。

そんな私のnoteに、もし関心を持ってくれる人がいたとしたら、それはラッキーでしかない。

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