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「のれん」でわかる「京都の店」かどうか

外国人観光客の激増にあわせて京都では大量に、いわゆる東京資本の店が増えた。京都風の作りをしている店が多いが、実は京都人からすれば、本当の京都の店かどうかはのれんを見ればわかるようだ。

違和感のある「のれん」

先日、家の近所を歩いていたら2年ほど前にオープンしたものの、コロナ禍で経営破綻したと報道されていたホテルの前を通りかかった。まだ営業は続けているようであるが、入口の大きなのれんが色あせていた。

前を通り過ぎながら

「あののれんえらい傷んでるな」

とぼくが妻に言うと、妻は

「そもそも、このホテルのれんのことなんも知らへん。だってこののれん冬ののれんやで。京都の人なら普通季節でのれんは変えるもんや」

と返してくれた。

なるほど、確かに周りのお店は涼しげな白っぽいのれんにかけ変わっているのに、そのホテルののれんは、この季節には少し暑苦しいえんじ色のもので、色あせていた。

ぼくは大阪出身で、京都に来てまだ10年ぐらいだけど、生まれも育ちも京都のど真ん中の妻は時々こういう京都ならではの視点で説明してくれ、はっと気付かされることが多い。

排他的と言われているが

京都では三代過ごさないと京都人とはいえないが、ぼくも京都以外では一応京都人と言われる身なので、東京に出張に行った時などに東京の人と話すと、ほとんどみんなが「京都はいいよね」、「京都が好き」と言ってくれる。そしてもちろん「排他的だよね」といわれることもよくある。新たな店や人を受け入れないという意味らしい。

でも思うのだが、そもそもその街で商売をしようとするのであれば、その街のことを調べ、その街を理解したうえでスタートを切るべきだ。とりあえず格子とのれんを使っておけばいいという感覚では京都のお店にはならないのだ。

そういったお店の多くは、東京資本で東京や海外からの観光客だけを相手にしていて、京都の街には馴染んでいない。だから実際、コロナ禍で一番に潰れていっているのだ。

少なくとも地元の人が少しは来る店であればきっと言ってくれるだろう。「まだのれん変えてへんの」と。(いや、京都の人は直接的ではないので「夏場に目立つのれんで探しやすかったわ」といわれるかもしれないが)

なぜその街らしさが失われるのか

話は少し変わるが、もちろん今の社会にそんな余裕はないことは理解している

なぜならぼく自信も昔は某チェーンの店舗の開拓を全国で行っていた。その場で行われていたのは、東京とか大阪とかのデザイナーさんが、出張で1日だけ出店先を見て回って、「この街並みからからこんなインスピレーションを得ました」とデザインを提案してくる。確かにかっこいいのだけれど、その土地の文化なんてわかっているわけがないのだ。

そして工事が終われば、他の都市で敏腕を奮っていた店長が呼ばれて店舗作りがスタートする。こうして基本的にはどこの街でも同じ、統一の店舗が出来上がっていくのだ。すごく経済的で合理的でもある。

でも気づいて欲しい。これが、日本各地のその街らしさを徐々に失わさせている原因なのだ。

全国にあったはずの「のれん」

そもそも、のれんは京都だけの文化ではないし、格子だってもともと全国にあったはずだ。でも全国で合理的な店作りが広がる中で、おそらく京都では、そういった店は受け入れられづらく結果として昔ならではお店の意匠が残ったのだと思う。だけど京都の観光客の激増で京都の人以外がメインで利用する店が増えて、京都風でもまかり通るようになってしまったのだ。

だから、言ってしまえば、京都の排他的といわれる文化が、昔からの当たり前の日本の文化を守ってきたのだ

そうであれば排他的といわれることにはなんのためらいもない。

これからも堂々と日本の大切な文化を守っていきたい。

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