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「台風一過」に隣国を案ずる気持ちを

台風10号が九州から日本海に抜けて行った。九州などで被害が生じているので、決して「良かった」とは言えないが、予測されていたほどの被害はなかったようである。

台風はまだ消えていない

と、ここまで書いていて思うのだが、台風はまだ消えたわけではなく、今も隣国の韓国や北朝鮮を襲っている最中である。日本ではとりあえずひと段落だが、隣国は日本のように毎年台風が来るわけでもなく、雨に対するインフラなどの整備もされていないため、大きな被害が出る可能性もある

でも、正直に、沖縄や九州の状況ほど心配していない自分がいる。同じアジア人だし、隣人だし、なにより同じ人間なのだけど、日本国内で起こることと比べて、他国での出来事はどうしても「他人事」という思いになってしまう

この理由はなんなのか。

共感が小さい理由

やはり、同じ食事をして、同じテレビを見て、同じ教科書で学んだ、つまり同じ文化を共有する人たちは共感できる部分が多くて、だからこそ、悲しみも大きくなるのかもしれない。

でも、もしもこういった悲しみをもっと共有できるようになれば、傷ついている人たちの大きな力になると思うし、国同士の争いも減っていくのだと思う

セウォル号の事件のときも、もっと日本人が共感を表明するべきでったのではと思っていた。

ヒントとなる映画

同じ文化的背景のない人同士が、悲しみや嬉しさを共有する方法を考える時、ぼくは、映画「評決の時」の最終弁論のシーンを思い出す。

このシーンは、白人が黒人の少女を暴行したした事件について、どれだけ悪質なことであるかを裁判員を説明する姿が描かれているのだが、裁判員(白人)の心を最も掴んだ主人公の一言は「もし暴行されたのが、白人の少女だったら」という台詞だった。

結局人の悲しみは「自分に当てはめてみないとわからない」ということである。

釜山で起こった冠水や停電が、もし日本の都市で起こったら。そういうふうに考えてみるべきなのだと思う。

とにかく、この台風の被害がこれ以上広がらないことを祈る

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