見出し画像

京都で「向こう三軒両隣」まで掃除しない理由

みなさんは、家の周りを掃除する時「向こう三軒両隣」まで綺麗ににしていますか。全国的には「するべき」だと思うのですが、京都ではそれはしてはダメと言われています。今回はその理由について書いてみました。

街中で見かける光景

最近気候も良くなってきたので、早朝から近所を散歩することが多くなった。コロナで営業時間を短縮していたお店も、だんだんと元の営業時間に戻ってきているようで、店員さんが、朝から店の前に水を撒いたり、ホウキではいたりしている姿をよくみる

この掃除、日本には古来からの伝統で普通「向こう三軒両隣まできれにするべき」という考えがあって、特に商売をしているお店(京都では「お商売されてはる店」という)にあっては、周りとの関係もあるので、当然されていることが多いと思う。

もし時間がなかったとしても、ちょっとくらい隣の店の前あたりをチャチャっと掃いたりして、言ってみれば「ちょっと広めにした方がいい」というのが常識ではないだろうか。

でも京都ではそんなことはない。ぼくが散歩して見ている限り、みなさんお店の前だけきちんと掃除している。水を撒いているところは特にわかりやすくて、自分の店の前の道路の半分だけ濡れているのがわかる

店の前しか掃除しない理由

日本古来からの伝統を受け継いでいるはずの「京都」で、なぜ「向こう三軒両隣」の掃除をしないのだろう

実はこれ

嫌味になるから

と言われている。

例えば、和菓子屋の店主が良いことだと思って隣の印鑑屋さんの店の前を掃除するろ、それを知った印鑑屋さんは、気を使って、自分も和菓子屋の店の前を掃除する必要が出てくる。でもそんなことをしたら和菓子屋の店主が「俺がさっき掃除したったのに」という気持ちになってしまう。掃除しないならしないで、印鑑屋さんには、自分の店の前を掃除してもらったという「借り」ができてしまう

印鑑屋さんにとっては、この「借り」を返すには、次の日朝早く起きて和菓子屋さんの前を掃除するしか方法はなくなってしまう。そうなると大変である。

だから結局、和菓子屋さんの「私やったったで」という印鑑屋さんに対する「嫌味になる」というのだ

「そこまで考えなくてもいいのでは」と思われるのかもしれない。でも1200年以上も首都として存在している京都(今も首都だと思っているのでこのように書きます)には、昔から様々な考え方を持つ人たちが暮らしている。物事の捉え方が違う人どうしで、誤解を生んだり貸し借りを生んだりすることがないように、「人の店の前の掃除はしない」というルールになったのだと思う。

だから、正確には

相手の負担にならないよう、相手を思いやって

と言うことだと思う。

だから、もし京都に引っ越してきても、驚かないでもらいたい。それは「意地悪」でしているのではなくて「思いやり」からくる行動なのだ。少しわかりにくいとは思いますが。

そしてもちろん、向こう三軒両隣掃除をしている地域もないことはないと思う。

皆さん是非京都に遊びにきてもらって、実際に街を歩きながら調べていただければと思います。


<おことわり>京都のほとんどのお話がそうであるように、口頭で伝承されているたくさんある説の一つです。少数派の意見である可能性もあるので、その点はご了承ください。本当に、京都の文化ってすごく多様なんです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?