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LGBT運動の左傾化に対する倫理学上の違和感について(導入編)

 昨今のLGBT活動家は左翼だと言われます。日本では、共産党のLGBT活動が目立ちますね。LGBT擁護が共産主義と結び付けられることも少なくないようです。

 アメリカでも反LGBT派は比較的熱心なキリスト教徒であり、「保守派」「右翼」と表現されることが多いです。
 アメリカ南部・フロリダ州では、初等教育における性的指向や性自認に関する授業を行わない法律が2022年に成立しました。また、トランスジェンダーのトイレ使用を制限する法律が各州で成立しようとしているようです。

倫理学上の違和感

 しかし、『これからの正義の話をしよう』(マイケル・サンデル著)を読んだとき、LGBT活動家と左派政党が同じ場所にいることに違和感を覚えました。

 第3章「私は私のものか?――リバタリアニズム(自由至上主義)」です。

 リバタリアンの中心的主張によれば、どの人間も自由への基本的人権――他人が同じことをする権利を尊重する限り、みずからが所有するものを使って、みずからが望むいかなることをも行うことが許される権利――を有するというのだ。

『これからの正義の話をしよう』(マイケル・サンデル著)p.99、15行

 リバタリアニズムは、国家が経済格差を是正するために富裕層に課税し、富を再分配することは正義に反するとします。これは、政府に介入されない自由市場を支持する人々に見られる立場です。「保守派」と呼ばれる人々で、日本では反LGBTであったり、LGBT保護に消極的であったりします。

 一方、リバタリアニズムは自己所有権を擁護します。
 「自己決定権」とも呼べるのでしょうか、LGBT活動では「自分のことは自分で決める」ことが主張されます。性自認がその人の性別であると考える立場や同性愛を擁護する立場は、正しくそうです。

 ここで疑問があります。
 LGBT運動も反LGBT派も、リバタリアニズムを採用している、という点です。『これからの正義の話をしよう』でも、この点に言及されています。

 リバタリアンの哲学は政治勢力図の上にきちんとした位置を持っていない。経済政策については自由放任主義レッセフェールを好む保守主義者も、学校での礼拝、妊娠中絶、ポルノ規制などの文化的問題についてはリバタリアンと意見を異にすることが多い。いっぽうで、福祉国家支持者の多くは、ゲイの権利、性と生殖に関する女性の自己決定権リプロダクティブ・ライツ、言論の自由、政教分離といった問題についてリバタリアン的な見解を持っている。

『これからの正義の話をしよう』(マイケル・サンデル著)p.101、13行

 哲学的議論と政治的議論で、ねじれになっているのです。

 実際的な問題としてはかなりどうでもいい気はするのですが、これに言及しているのを見たことがないので、自分なりにこの「ねじれ」の理由を考えてみようと思います。

続く・・・(更新未定)

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