見出し画像

1000のミナレットの街ー世界遺産カイロ歴史地区

ギザのピラミッドほど有名ではありませんが、 古代エジプトとまったく違う顔を持つカイロの街も世界遺産です。 

969年 エジプトを征服したファーティマー朝が新しい首都として アラビア語で勝利者の軍事都市を意味する「ミスル・アル・カーヒラ」を建設。この都市名が、英語で[Cairo ]と呼ばれ、現在に残っています。

その後 名君として名高いサラディンが興したアイユーブ朝、マムルーク朝、オスマン帝国時代を通して カイロはアフリカ大陸の政治経済そして宗教の中心都市として発展してきました。

サラディン

サラディンは イスラム世界を統一し 十字軍に勝った名将であり、人格者としても名高い。 宰相であった叔父シールクーフが急死し まわりの人間に 操りやすいと 宰相にまつりあげられてしまったのがサラディンでした。

しかし まわりの思惑は外れ サラディンは見事な政治手腕を発揮。サラディンはイスラム世界の勢力争いに勝ち、イスラム世界にとっては侵略者になる[十字軍]を撤退させたまさに英雄。

エジプトのカリフが亡くなり 財宝が入ってきた時は 自分は何も取らず 全て自分の臣下たちに分配。そして エジプトの君主、スルタンの地位になったサラディンはアイユーブ朝を始めました。

寛大なサラディンは ジハード(聖戦)の途上で、敵に戦闘より話し合いによる降伏を勧め、降伏したキリスト教徒は身代金の支払いを条件に命を救われました。

イスラム世界統一に自分の生涯をかけたサラディンは 亡くなった時に財宝等一切の私有財産を持っていなかったということです。

シタデル

サラディンが築いた城塞。19世紀までカイロの政治の中枢に。建設の途中で資材が不足するとギザ周辺のピラミッドの石材も再利用😱☀️ 唯一神アッラーを信仰する彼にとっては ピラミッドはそれほど重要ではなかったのかもしれません。

画像1

ムハマド・アリー・モスク 

シタデルのなかで 最も壮大な建物。ムハマド・アリーは1805年にエジプト最後の王朝ムハマド・アリー朝を興した人物。モスクはアヤソフィアを真似トルコ風の建造物に。完成はムハマド・アリーの死後でした。

画像2

私が訪れた時は 時計塔は修理中?だったのかな。中庭にあるこの時計塔はルクソールのオベリスクと交換でフランスのルイ・フィリップから贈られたもの。「贈ってきた時から壊れてたー」と現地ガイドさんのお話。詐欺⁉️😞💦

画像4

画像4

内装はロココ調。とても豪華で綺麗。


他にも アズハル・モスク、アムル・モスク、アル・ハーキム・モスク等々見処は沢山。 残念ながら カイロの旧市街では あまり時間がなく 私が参加したツアーで訪れることが出来た建造物は「ムハマド・アリー・モスク」だけでした。

車窓でしたが、「死者の街」もチラッと見ることは出来ました。このエリアには屋根や中庭がある家の形をしている墓所が密集。 ガイドさんのお話では住宅を持てない人たちが 沢山移って来て、墓所に住みついてしまっているそうです。これは 大きな社会問題であって 迅速な対応が必要とのこと。

ナイル川のほとり、1000のミナレットが林立する街。7~20世紀の約600もの建造物が 1979年 カイロの歴史地区として 世界遺産に登録されました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?