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離宮だったけど、長く朝鮮王朝の中心だった昌徳宮

昌徳宮(チャンドックン)は、1405年に朝鮮王朝第三代王・太祖(テジョン)が、景福宮(キョンボックン)の離宮として建設。

16世紀末の文禄の役で、景福宮、昌徳宮、昌慶宮の三大王宮が焼失。

その後、昌徳宮のみが最初に再建。

国家財政がひっぱくしていて、景福宮の再建がままならなかったため、離宮にも関わらず、昌徳宮か一躍国政の舞台へ。

結局 19世紀に景福宮が再建されるまでの270年間、昌徳宮は正宮の役割に。

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仁政殿(インジョンジョン)の前庭には、臣下の位を示す「品階石(プムゲソク)」を設置。

臣下は、自分の位の位置に整列。


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秘苑(ビウオン)見学ツアーの入口。昌徳宮入場とは別料金で、日本語ツアーで見学しました。

秘荘は昌徳宮の敷地の約半分を占める広大な庭園。

造園技術の粋を集めた名園で、歴代の王もたいへん気に入っていた場所ということです。

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離宮でありながら 朝鮮王朝の栄枯盛衰を見守ってきた昌徳宮は、1997年に世界遺産に登録されました。



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