見出し画像

花屋って楽しい 2

ズボラですが、好きだからなんとか花屋の店長をやっています。うしこです。
今回は私が花屋になるキッカケになった、「私の思う植物の魅力」について書いていこうと思います。

まあ、私が語らなくても、花は綺麗なんですけど。

ちょっと自分の身の上話になってしまうんですが、私は幼少の時に母が褒めてくれた一言で、ファッションデザイナーになりたいと思っていました。将来の夢ってやつです。
実際ファッションの学校に見学なんか行ったりして、そこで私は洋服の色と柄に興味があるんだと気づきます。そこからちょっと方向転換してテキスタイルを学ぼうと、美術大学進学する事になりました。

美大試験ってそれはもう、同じ物を6時間とか睨めっこして、絵を描くんですけど、やーシンドかったな。まあデザイナーも作家も、あの孤独に耐えられないと無理だと思うんですけど。もちろん私は脱落です。(いちおう美大には進学しましたが)

そんなこんなで花観察して描くという事が何回もありまして、そこで気付くんですよ。

花ってスゲー

なんか私が一生懸命良いもの作ろう、良いデザインしよう、素敵な色で表現しようと思っても、あいつらにはどうしたって勝てないんですよ。勝てるわけないんだけども。

目くそみたいなタネから、ちゃんと葉っぱが出て、花が咲く。それも種類がめちゃくちゃあるじゃないですか?こっちがどんなに高い絵の具を使おうが、形を作ろうが、花はそれを全部飛び越えてきて。一つ一つ、個性を持って、綺麗な形と綺麗な色を持って、土から出てくる。最初は目くそなのに!
それから今度は花びらの形や付き方、めしべおしべはどうなってるとか、見れば見るほど全部綺麗なの。葉脈の走り方もそれぞれ違うし、分解してもその形がまた綺麗なんですよねー!!
とまあ、こんな感じで植物ハマっていきます。

(前回、赤いヒヤシンスがタコさんウィンナーに見えたのもこの一連の癖です。)


でもまだまだ、このくらいの事では、私は花屋になりません。


大学に入ってから、毎回植物をモチーフに作品を作る毎日が始まりました。

なんかこの話長くなっちゃうな。。もうちょっとお付き合いいただけます?

そこでgreen fingers という植物屋さん?をしている川本諭さんに出会うんですが(全く知り合いではない)この方の作品に感銘を受けることになるんです。

作品の解釈って人それぞれだと思うんで、この方がそうゆうつもりで作ったかどうかも、この作品が‼︎という何かがある訳でもないんですけど。

それまで自分の中では、
植物を美しく保つためには「自分で手をかけなければいけない」って思っていたんです。盆栽しかり、ガーデニングしかり、貰ったお花もね。

それがこの方作品(本読んだんだと思う)見て、植物って「そのまんまでも、綺麗なんじゃん」

って思えたんです。
木や草がボーボーに生えてるお庭も、ほっぽらかされて枝の曲がった観葉植物も、全部かっこいいの。

なんなら枯れた植物もカッコいいんだから。
(今はドライフラワーが流行ってますが、10年前くらいの前の話なので、当時私としては衝撃)


植物を育てる事、触れる事が、すごくラフになった瞬間でしたね。別に私が頑張らなくても、「魅せ方」気を使ってあげさえすれば、いつでもどんな時でも綺麗。枯れてたって綺麗。

そこで初めて発見するんです。

この人たち生きてるから綺麗なんだ

私の場合は、「枯れた花の綺麗さ=植物死」に感銘を受けたのが一つのキッカケで、枯れている物の美しさって、当たり前ですが、それがもともと生きていたという事実があって、初めて美しいんですよね。
枯れてなお、美しいもの。そして生きているからこその魅力。その事に気付いただけでも、私は人生、得をしてるなーと思います。
そこから一気に植物の「見方」が変わっていきます。一つの綺麗な「物」から、私を救う唯一無二の「存在」へ。

とりあえず今日はこの辺で。長いと読むの嫌になっちゃうから(私が)

なんでそこから花屋になったかはまた次回◎


いやほんとに、植物って慈悲深い。
私にいつも優しい。
ありがとう




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?