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彼女を笑う人がいても

2021.12.11

世田谷パブリックシアター
初めての世田パブ。

悲劇喜劇に戯曲があったので、それを読んでから観劇。
「60年安保闘争」に難しい話かな?と身構えていたけど、今回はめちゃくちゃ読みやすかった。

つくづく、自分が無知であることを思い知る。
60年安保闘争のことも、全然知らなかった。

現代と1960年を行き来する。
学生デモの熱量、国会周囲を埋め尽くす人。
言葉を通して、国に意見するその姿。

衝突を避けるために、安定を選びとる。
人と人との接触を避け、言葉からも逃げている。
これまでの経験から悟ってしまう。
どうせ変わらないと、何もせずに失望し、不満の声だけあげる。

豊かになった、便利になった、世の中で、消えていく何か。それを感じた。
そして、それは政治だけでない。人の生き方についても問われて、今の自分にもグサグサとくるものがあった。

この作品にふれて、2021年衆議院選挙のことを思い出す。
若者のインタビューの中で、自分が投票しても何も変わらないという声があった。
でも、覆された地区は確かにあった。それは若者の投票が大きく影響していた。これは事実。
著名人が投票を呼びかけたことでも、若者の政治意識は向けられたと思う。

この作品での「彼女」、樺美智子さんの言葉

誰かが私を笑っている
こっちでも向こうでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く

彼女はリーダーとして引っ張る人ではなかったと、裏方にいる方が向いていたと語られていた。そんな彼女が、この言葉を語り、行動を起こす意志はどこからきたのだろうか。
今を生きる人間として、国を、政治を、社会に目を向けて、自分はどう思うのか、どう生きていくのか。とても考えさせられる。


そして、報道の視点から。
彼女の死因はデモで彼女が転倒して、後から来た学生達に踏まれたことによる圧死となってるが、解剖の結果からは警棒に臓器が圧迫され、首を締め付けられた所見がある。一部の学生の暴力に目を向けてそれを批判し、学生達の暴力を否定する共同宣言を出す。

民主主義は言論をもって争わるべきものである。その理由のいかんを問わず、またいかなる政治的難局に立とうと、暴力を用いてことを運ばんとすることは、断じてゆる許さるべきではない。

しかし言葉によっても、解決できないことがある。言葉が暴力に変わり、その暴力によって殺されてしまう人もいる。矛盾を矛盾として受け入れていくしかない道しかないのか。
それでも言葉の力を信じたい。言葉による意思表明を信じたい。悟って何もしなければ、道は開けない。
何かが起こり、失うことがあっても、その時点に向き合って、誰かと悲しみを共有しながらも、これからどうしていくのかを考えていきたい。

作品を通して「彼女」に出会えてよかった。

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