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インナーパートナーシップが及ぼす影響


誰しもある両極

「インナーパートナーシップ」
これはわたしが勝手に名付けたものだけど、
要は自分の中にある男性性と女性性の関係を示す表現。

誰しもどちらの要素を持っているもので、生物学上の男女だけではなくて、気質としての男性・女性が存在している。

その割合は人によって様々だから50/50であることがバランスが取れているとは一概に言えないし、何をもってバランスが良いとするかは分からない。
それに、どんな特徴を男性性とするか、女性性とするかの認識も違っていると思う。だけど、陰陽性質で当てはめてみるのはとても分かりやすい。

陰陽性質表-Wikipediaより転載-

死生観から見直したパートナーシップ

ここでは陰陽それぞれの細かい性質に対して言及したいのではなく、自分の中に両極の性質が存在していること、そして、その性質に対してどう捉えているか。それを自覚すること、理解を深めることは、自分自身を知るのにものすごく役立つのではないか?という気づきによって感じたため記事にしている。

というのも、前夫と婚姻関係を解消して今年の4月で丸4年になるタイミングで、伏線回収的な出来事が頻発して、改めてパートナーシップについて考えること、捉え直すことが多くなっていたのがきっかけだった。
前夫とは俗言う”円満離婚”というやつだったけど、じゃあ何も問題がなかったと言えばそうではない。だったら離婚という選択をしていない。
2019年秋から2020年春分あたりで死生観を直視することが重なり、それにより自分自身がこの肉体を離れ、死を迎えるときのことをリアルに見つめることになった。

つまり「今世の終え方」を考えてみた。

それには正解もないし、考えたって仕方がないと言う人もいるかもしれない。だけど死を考えるとは、生を考えることでもあって、自分にとってどんな終え方を求めているのだろう?と思い馳せたとき、そのビジョンに彼がいなかったことが離婚を決めた大きな理由だった。
それと同時に「やりきった」という体感も伴っていて、より決意を固めることとなった。

”決めれば事が動く”とはその通りで、結果的には肚を決めた春分の日から1ヶ月足らずで離婚が成立したのだけど、そこから4年経ち、前夫から本当に愛されていたことを実感する出来事があった。
そして、それ自体をわたしが否定していたこと、受け取る精神的なゆとりがなかったことを痛感した。
だからってヨリを戻すとかそういったことは一切思わないのだけど、愛はいつだって”ここ”にあるってことを気づけたことはとても大きかった。
無意識にずっと背負っていた「責任」というものが解放されていたことを体感できた瞬間でもあった。

思考では積極的だった

そんなこんなで独り身になって「もうパートナーなんていらない!」と頑なになっていたわけでもなく、どちらかと言えば求めていたし、動いてもいた。だけど、箸にも棒にもかからない。わたしの心に。笑

ありがたいことに、お付き合いしたいと言ってくれる人は何人かいたのだけど、まったく心が動かない。(自慢気だな…)
なんなら『わたしがこんな感じなのになんで付き合いたいと思うんだろうか?』と不思議に思うほど。
でも婚活!恋活!っていうほど息巻くほどではないから、ものすごく積極的になっていたかといえばそうではなくて、いま思えばすべての過程がリハビリだったんだなぁと感じる。(10年以上恋愛から離れていたからね)

そして、離婚して4年ということは、完全にひとりで事業をし始めて丸4年ということでもあり、今になって自分を客観的に見ると本当によくやってきたなぁと思える。冗談じゃなく、よく生きてるなと。
離婚を考えていたときの一番の懸念は、「ひとりで生活ができるのか?」だった。子どももいないし、結婚前はひとりで生活していたのだから何を言ってるんだ?って感じなのだけどね…。
もちろん仕事はやろうと思えばいくらでもあるとアタマでは分かっていても、その時点でお勤めを離れて5年以上は経っていて、一般職に就くこと自体も自信がまるでなかった。

ちょっと話が逸れてしまったのだけど、振り返ってみるとたくさんの人に助けて頂きながら日々を生きることができて、関わってくださった方にも、自分自身にも心から感謝した。
この”自分自身にも”というのがかなり肝で、ようやく本題に入る。

内在する両極の性質

事業を生活の中心に置いてきたこの4年。
大波小波はありながらも、ある程度の成果を出す事ができ、自分自身の使命が明確になりだした。この間、たくさんのことを決め、辞め、また決め、と渦中では大したことないと感じていたけれど、ひとつひとつが結構なボリュームであることも自覚できた。

そんなとき、ご縁あってお話しすることになったシャーマンからこう言われた。

「光恵さんは両極の気質をお持ちですね。どっしりと肚の座った、とても馬力の強い部分と、ウキウキわくわく好奇心に満ち溢れたキラキラした少女のような部分」

「どちらも素晴らしい気質ですが、これが断絶されているんですよね」

「だ、断絶ですか?」

「はい、両者が壁を作っている感じです」
「なので、その両方の性質を愛でてあげてください」

そんなお話しを聞いて、何かが繋がった感覚を覚えた。
その衝撃は結構なものだった。

もう少し詳しく気質の特徴をお伝えすると、

・どっしりと肚の座った、とても馬力のある性質
つまりは男性性の部分。
これは、どんどんと目の前の課題に挑戦し、新しいものにチャレンジし、成果を上げるというもの。

ひとりで生活するにあたり、やっていた事業でいかに成果を上げるか、本当に四六時中、仕事のことを考え続けていた。これは単に売上を上げるだけではなく、目の前の人が求めるものをわたしが提供できることで解決できるだろうか?そんな問いだった。実益につながるかどうかっていう以上に”わたし”をどう役立たせるか。みたいな感じ。
上昇・前進・熱意・実証・理性とかがピッタリ。

好奇心に満ち溢れたキラキラした少女のような性質
これがわたしの女性性の特徴。
直感的に物事をキャッチし、ウキウキわくわくが原動力となって動く自分。
思考ゼロに近く、一見するとただふわふわしているように見える。でも大概この部分でチョイスしたことはとても流れがスムーズで、うまくいくパターンばかり。
思考による正論に論破されやすい。笑
だけど、軽やかさがすごくてチョイスしたときの運ばれ感はすごいのだ。
求心力・融合・柔軟・精神というワードがピッタリ。

当然これらもほんの一部でしかなく、どちらの要素もまだ細分化できるのだけど、これだけでも自分の中で相反する気質が存在していることを再認識できた。

これまで、いかにわたし自身を活かすか、そのお役立ちの喜びを感じながら生きていけるか。そんなことをずっと考えながら活動してきて、今に至っているのだけど、なんというかぶつ切り感が否めないところもあった。
ペースの違いはあれど、どこか息を切らしながら走り続けている感覚もどこかでずっと存在していた。

そんな中で、両極端の性質が断絶されているというお話しをいただいたとき、わたしの中で両者を本当の意味で認め、受け入れ、理解しようとしていなかったことに気づけた。

目の当たりにした断絶感

自分の中にある両極端な男性性と女性性を自覚し、違いを愛でる。
そのことを意識的にやり始めて最初に気づいたのは、思っている以上に自分のやってきたことを評価していないってことだった。

つまり男性性に対して厳しい態度でいたのだ。
やろうと思ったこと、チャレンジしたいと思ったことはほとんどやってきて、程度の違いはあれど成果も出せていた。
だけど、満足することはなくて、もっと成長するにはどうしたらいいんだろう?って無意識に考えていた。
自分を責めるってことまではしていなくても、高く評価することはなかった。

これを男性性目線で例えるならば、
愛する妻のためにいろんなことにチャレンジして、試行錯誤を重ねながら少しずつ成果を上げているのだけど、奥さんは一向に褒めたり認めたりしてくれない…だからもっと頑張らなきゃ!みたいな感じ。

そのことに気づいたとき、なんてわたし健気なんや…って感じた。

で、次もポイントで、女性性目線でいくと…
旦那はどんどんいろんなことを勝手に決めちゃっていつも前ばっかり向いてる…。少しはこちらのことを気にかけてほしい…。急足でいろんなことを展開していくんじゃなくて、もっと瞬間瞬間をじっくり味わいたい。
大好きな旦那さんといろんなことを共有したい。
みたいなのが出てきた。

ベースには愛があるはずなのに、食い違ってる。
こうやってインナーパートナーシップの断絶を実感した。

そりゃ自分の中がチグハグなのに、外側で良好なパートナーシップを構築できるわけないよね!って笑
リハビリもそうだけど、そもそも自分自身が男性性に対して厳しい態度をとっていたことがモロに外に出ていた。だから心が動く相手と出会えなかったのだ。

この意識に気づいたときに、お互いが認め合えるような働きかけをしてみた。
男性性に対して、改めてきゅん♡とできるように
女性性に対して、置いてきぼりにせず寄り添う

こうやってインナーパートナーシップの統合を少しずつ進めていった。

統合の過程にあったもの

当然最初から素直にはいかないのだけど、それでも本当に少しずつ関係性が変わってきていることが感じ取れるようになった。

それはどんなところで感じるようになったか…
まず、やろう!と思ったことは瞬間的にどんどんやっちゃう傾向があったのが、女性性の部分がきゅん♡としているかどうかを確認するようになったこと。

これは時間にするとそこまで間がないのだけど、内側で意識が統合されているかどうかを感じてからやるってことを大事にできるようになった。
すると自分を動かす感覚が軽やかさと安定感が同時存在しているのを感じられるようになってきた。
結果に対してアタフタするってことがかなり少なくなった。良し悪しの捉え方が変わったと言える。

そして、外側の関係性についてもかなり変化していて、これまでは相手に対して精神性の高さをかなり求めていたのだけど、伸び代を見れるゆとりが出てきた。
これも感じ方が変化したことで気づけたことだったけど、わたしは最初からハイレベルな関係性を求めすぎていた。特に異性に関しては相当なものだったと思う…。ほんとどんだけ上から目線なんだ。笑
それに伴い、経験値を求める傾向があったのだけど、伸び代や可能性を受け入れるゆとりが生まれたことにより、過程を楽しめるようになってきた。

これも私からするとかなり大きな変化で、これまで見えていた世界がかなり拡がったことを教えてくれた。経験不足を未熟と済ませるのではなく、可能性だと捉えられるようになった。

つまりこれは自分自身にも言えることで、同時進行で自分に対しても不足ではなく、可能性の幅と見てあげられるようになったということ。

ほんの1ヶ月ほどでここまで変化したのだから、これからさらに統合のプロセスが進んでいけば本来の関係性を発揮できるようになるのだと感じる。

かなり長くなってしまったけれど、ここについてはかなり面白い研究材料だと感じているので、これからも観察を続けていきます。
その後の経過についても改めて記事にしますね。

にしても、本当に面白いテーマだなぁ。
これについてもっと話したい。


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